2022年4月30日土曜日

復活祭でパリを追われて!

 今朝の『東京新聞』にパリ在住のフリージャーナリストの浅野素女女史の『柴犬 フランス歩記が載っている。同氏によるとフランスでは夏の2個月間のバカンスの他にも復活祭休暇など2ヶ月に一回は2週間程度の休暇が回ってくると言う。我が国とのあまりの違いにため息が出そうになる一方、それでフランスはやっていけるのかと他人事ながら心配になった。

 私は復活祭に迷惑を被ったことがある。英国の大学の学期外れの時にパリの図書館通いを計画した。大学の家族寮を不在中又貸しをする例を学内の掲示板で見ていたので、それに倣って1ヶ月貸して、オンボロの愛車でパリを目指した(不安はあったが大陸で車が故障した場合、英仏海峡のフランスの港まで運んでくれる保険に入った)。

 パリのホテルはオルレアン門近くの宿を直前に利用した英国人の友人が予約しておいてくれたが、数日で復活祭となり、1週間ほど部屋を開けろとホテル側が言う。困惑したが、これを機会に観光地を覗くのも悪くないと考えた。ステンドグラスの美しさで知られるシャルトルの大聖堂やモンサンミッシェルの大聖堂や、米国映画『ロンゲスト・デイ』で知られる大戦中の米軍のノルマンジー上陸作戦の地アロマンシュ(作戦名ではオマハ海岸)の広大な米軍墓地やロワール河沿いの古城群などを訪ねた。

 それぞれに興味深かったが、パリを取り巻く「イールド・フランス」と呼ばれる大平原の彼方に見えるシャルトルの大聖堂が次第に大きくなる間、中世の巡礼者になった気がした。フランスも移民問題で揺れる国柄だが、少なくともフランスの歴史と伝統を尊重しない人には来てほしくないと思った(いつからフランス人になった!)。

2022年4月23日土曜日

大豆ミートも鹿肉も!

  新聞に「大豆ミート」の記事が載っている。テーマはなぜ大豆肉と呼ばないかであって、ミートとしての完成度を問うているわけではないが、記者はその味に満足したようだ。

 大豆という植物の種子からある程度満足できる味の肉が出来るのなら一大朗報と言うべきだろう。牛のゲップが地球温暖化の一因となっているとは素人には信じ難いが事実のようだし、そのほかにも米国中西部の畜産は過去何百年?に蓄積された地下水を利用しており、やがて限界に達すると聞く。さらにブラジルの原生林はハンバーグの材料の食肉生産のため急速に失われつつあるとか。大豆ミートの生産は人類の肉食の維持に欠かせなくなるようだ。

 私自身も牛肉は好きだが味覚は上等でないので国産の銘柄牛肉を買い求めたことはない。数年前、卒業生(今は故人)の年賀状で初めて切手以上の賞品が当たり、何かと思ったら銘柄牛の肉だったが、特別美味いとは感じなかった。その程度の味覚なので大豆ミートで満足しそうだし、仏教徒ではないが殺生は少ないほどよいと感ずる。

 農地を荒らす害獣はむろん別。テレビの『ポツンと一軒家』が好きで毎回見ているが、獣害防止のため金属柵を設けている場合も多く同情に耐えない。衛生面など殺害後の処理は簡単ではないらしいが、若ければ害獣ハンターになりたいぐらいである(案外残酷な性格なのか?)。

訂正 前々回、寝台車利用の件でむかし上野と山形間で利用したことを失念。まだ他にあるかも!

2022年4月20日水曜日

一刻も早くマリウポリに停戦を!

  ウクライナ東端のマリウポリの攻防がいよいよ最終段階に至ったようで、一刻でも早い停戦が望まれる(国単位の休戦ではない)。同市の包囲はもう1ヶ月を超える。弾薬も食料も尽きかけているはず。無補給状態で戦い続けよと兵士に命ずるのは許されることでは無い。まして多くの市民も含まれるという。投降者の生命は保証するとのロシア政府の約束に疑いが残るにしても一大殺戮戦はあってはならない。

 それでは全体としてのロシアとウクライナの武力抗争はどうか。日本を含めて西側諸国ではゼレンスキー大統領への賞賛の声が高い。しかし、志田陽子武蔵野美大教授(憲法学)は「ゼレンスキー大統領への感情的な英雄視は危ない。侵攻で人命が失われる一方、武装して抵抗する市民が戦闘の標的となる。ここはゼレンスキー氏を批判しなければならないところで、武装して抵抗を呼びかけたため、ロシア軍が市民を攻撃対象にしても国際法上、違法に問えなくなる可能性がある」と冷静な評価を訴えている(『東京』4月6日)。

 ゼレンスキー大統領はNATO諸国に兵器の支援のみならず軍事介入まで求め、それに応じないとの理由でドイツなど他国を批判するが、それは当初から分かっていたことだった。我々はどれほどウクライナ人の苦境に同情しても核戦争の危険は絶対に犯してはならない。

2022年4月17日日曜日

寝台車の思い出

  昨日の朝日新聞のbe掲載の原武氏の鉄道コラム『歴史のダイヤグラム』は「3等寝台がない特急『へいわ』」との見出しで、戦後(1949年9月)に東海道線で復活した特急『へいわ』の話題を取り上げている。『へいわ』というネームに戦後の日本社会の空気がうかがえるが、さすがに3個月半で『つばめ』に改名したという。同名の戦前の特急にノスタルジーを感じる世代からの反対に行に抗しきれなかったのだろう。

 しかし、今回の主題は『へいわ』が1等展望車、2等車、3等車(他に食堂車と荷物車)で編成され、3等寝台車が無いことへの原氏の不満と関西の鉄道王の小林一三翁の憤懣である。『へいわ』は上りも下りも昼間に走るので両人の不満はよく分からないが(戦前は寝台車も連結?)、板張りの座席の3等車と1等車のあまりの格差が不満を誘ったようだ。

 私は名古屋と東京間の利用が主だったので寝台車の利用はずっと後年に札幌行きのブルートレイン『北斗星』を2度利用しただけ。夜汽車の情緒は大いに気に入ったのだが、間も無く廃止となったのは残念だった。

 ヨーロッパの寝台車は3度利用した。第1回はローマ・ミラノ間、第2回はマドリード・グラナダ間、第3回はパリ・ナポリ間で全てフランス語でクシェットと呼ぶ簡易寝台だが、我が国の普通寝台とあまり違いはなかったと記憶する。とくに初回は初のヨーロッパの和服姿の母を加え大人3人幼児1人だったので、周囲の好奇心は大変なものだった。第2回はフランコ独裁時代の末期でテロを恐れて駅は小荷物を預らず、周辺のカフェに預けるのが通例となっており、ポーターがどんどん駅から遠ざかるので不安だった。3回目も盗難を恐れてか車掌が旅券を一晩預かるのだが、フランス国鉄の車掌は私服だったのでナポリまで不安いっぱいだった(パリのメトロでは私服のスカート姿の女性が運転していた)!

2022年4月12日火曜日

 「バターン死の行進」の評価

  今朝の朝日新聞の「声」欄に、「死の行進 今は『勇者の日』に」との見出しでフィリピンの日本人学校の教員の方の投書が載っている。 氏は同国の祝日「勇者の日」が、1942年4月のいわゆる「バターン死の行進」の記念日であったと知って驚き、みずからその由来となった道を訪ねたという。

 旧日本軍が米比連合軍の捕虜を3日間歩かせ多くの死者を出した事件として、真珠湾の奇襲攻撃と並んで米国に日本人の邪悪さの実例として徹底的に利用された。細部に関しては輸送のためのトラック手配が一部実現していたか否かなどはっきりしないが、多くの米兵やフィリッピン兵が亡くなった事実は否定できない。そのため戦後、本間雅晴司令官以下の何人かが戦争犯罪の罪で死刑となった。

 しかし、家永教科書裁判で政府の教科書訂正命令と闘い、また日本の戦争責任や戦争犯罪を追求して戦後の進歩派知識人の代表格の一人だった家永三郎教授は、その著書『戦争責任』(岩波書店 1985)でバターン死の行進を果たして戦争犯罪と呼べるかどうか迷うと書いている。日米開戦後、米比連合軍はバターン半島の要塞に立てこもったが、次第に食糧不足やマラリアの蔓延に苦しみ、4ヶ月後に降伏した。しかし日本軍を驚かせたのは予想をはるかに超える捕虜の数であり、受け入れ準備不足のままの捕虜収容所までの3日間の行進に耐えられず多くの死者を出した。フィリッピン派遣軍の司令官の本間雅晴将軍は日本陸軍きっての人格者だったが、シンガポール攻防戦で英軍を破った山下奉文司令官(大戦末期のフィリッピン派遣軍の司令官でもあった)とともに死刑となった。植民地民衆の前で宗主国の面目を失墜させた両人は何としても死刑に処しなければならなかった。

 司令官クラスだけではない。後の京都大学教授の会田雄次氏は日本降伏後、英国支配下のビルマで道路工事を始めとする強制労働に服した(同氏 『アーロン収容所』 中公新書。のち中公文庫)。国際法は戦争終了後の捕虜の速やかな帰国を定めていたが.....。もっともこちらは戦争中ではあるが、映画「戦場にかける橋』に描かれているように日本軍の連合具捕虜の扱いは劣悪だったので、その報復でもあったのだろうが。

2022年4月6日水曜日

訂正

  前回のブログで暫次としたのは漸次の誤り。そもそも日本語が紛らわしい !(負け惜しみ)。

2022年4月3日日曜日

プーチンの怨念は彼だけのものか

  ウクライナとロシアの熱い戦いは短期で決着とはならず未だ続いている。私の当初の予想より長引いているのはウクライナ軍の勇戦が第一の理由だろうが、これまでの戦争で本格的に使用されることのなかった携行式の対戦車や対空のミサイルが予想を超える威力を発揮しているようだ。ロシア軍の兵士の戦意が低い可能性もあるが、そうでなくとも散在するウクライナ軍の兵士から放たれるミサイルの威力は兵士たちをひるませるに十分だろう。

 この戦争に関してこの1ヶ月余り、メディアに多くの論者が発言したが、目前の戦争ばかりで無い中長期的な視点からの解説は少なかった。戦争は突然起こるわけではなく過去からの不満の蓄積がついに発火点に達するケースが普通と考えるべきだろう。その点で今朝の毎日新聞のコラム『時代の風』への高原明生教授の寄稿は、今回の戦争を「人間の安全保障への脅威」と見る点で他の論者と大きく異なるわけではないが、「冷戦敗北の屈辱へのルサンチマン(怨念の情)がプーチン氏の侵攻の動機だとわかる」と過去30年を遡って捉えている。私も同感である。

 さらに昨夜(一昨夜?)のテレビで静岡県立大准教授の浜由樹子准教授が今回の戦争をロシアによるレコンキスタ(再征服、旧領奪回)と表現しているのは納得がいった。レコンキスタとは中世前期にイスラム勢力がスペインを領有したのに対し、スペイン人が中世後期に暫次これを駆逐した事象を指す。メディアでプーチンの非道を批判するのが間違いとは言わないし、テレビで反戦を訴えた女性局員や街頭の反戦デモ参加者の勇気には本当に頭が下がる。しかし、ロシアでは中立的な世論調査でも約8割が今もプーチンを支持していると聞く。それを強権政治の故とだけ理解すべきではない。