2020年12月30日水曜日

巨大自動車運搬船

  以前 ( 6月28日 )の当ブログで巨大コンテナー船のルポルタージュ番組を紹介した。たまたまチャンネルを回して途中から視たのだが、我々の日常とあまりに違う乗組員 ( 女性もフィリピン人も ) の生活は私には新鮮な驚きだった。
  年末のテレビ番組は手抜き番組も少なくないが、休日の視聴者を当てにしてか長尺のルポ番組もある。今朝も途中からだが米国への巨大自動車運搬船の紹介番組を視た。太平洋を無事航行した?船はパナマ運河を通過する。同運河を通過できるように幅狭くつくられた船が高低差克服用の数か所の閘門を通過する際の余裕は左右共数十センチしか無い。岸に接触すれば船腹に被害とのことで、操船の苦労は並大抵ではない。
  運河を過ぎればカリブ海の海賊への警戒。映画の中の話のようだが船側に鉄条網を巻きつけるのだからウソでも何でもない。ちなみにパナマ運河の通行料は3000万円とのこと。スエズ運河はたしか4000万円だった ( それでもアフリカ南端の喜望峰回りなら燃費は9000万円とのこと )。パナマ運河の場合、南米先端のマゼラン海峡利用は論外なのだろう。
  運搬船はジャクソンビル ( フロリダ州 ) やボルチモア ( メリーランド州 ) などで計5000台の積荷を下すのだが、港湾施設使用料を考え作業は超特急。帰路はヨーロッパに立ち寄り ( ヨーロッパ車を積み込む?)、スエズ運河利用で帰国とか。米国までで35日の旅には女性船員もフィリピン人船員もいないようだった。
  コロナ禍で経済活動が打撃を被っている中で我が国の自動車産業は一時の低下を経てほぼ正常の操業まで回復していると聞く。その陰には運搬船乗組員の努力もあることを忘れたくない。

2020年12月27日日曜日

Go To トラベルの終焉?

  半年ほど?続いたGo To トラベル キャンペーンが明日から2週間中断すると言う。現在の感染者の発生状況からすれば2週間後再開となるか大いに疑問である。
  Go Toトラベルの評判はメディアでは良くない。それが現在の感染拡大にどの程度寄与したかは断言はできないとはいえ、拡大に寄与したことは否定できないのでは。
  諸新聞の中では『日経』が唯一?批判とは一歩距離を置いている。「Go To 停止 地域経済に影」「打撃 2500億円 の試算 」との見出しで昨日の同紙は、11月15日までに5260万泊人 ( 人数×泊数 ) の利用者があり、10月の宿泊者数は東京、大阪、沖縄を除いた44道府県で前年を上回ったとの内閣府の発表を伝えている。
  『日経』は元来経済紙だからその視角から問題を評価するのは理解できるし、それはそれで評価すべきだろう。Go To キャンペーンに関連する業界が一息ついたことも否定できない。しかし、医療施設が受け入れ不能となる事態は何としても回避しなければならないから中断はやむをえない。さいわいファイザーの新ワクチンの有効性は実証されつつあるようだ。適用の優先権は家に籠ることの多い高齢者でなく、通勤に公共交通機関を利用せざるをえない勤労者に与えられるべきだろう。

2020年12月20日日曜日

「アラブの春」 十年後の反省

今年はチュニジアの「ジャスミン革命」を発端とする「アラブの春」後10年ということで、新聞を中心としたメディアに特集記事が見られる。
  チュニジアでの官憲の非情な扱いに抗議した青年の自殺が、同国ついでアラブ世界全般で独裁政権への抗議運動の口火となり、「アラブの春」と呼ばれた政変を惹起したことは記憶に新しい。しかし現在のところチュニジアで民主化が進んだことが唯一の例外とされ、逆に以前より厳しい独裁体制となったり、シリアやリビアのように内戦に引き裂かれた国もある。どうして人々の期待がこれほど無残に裏切られる結果となったのか。
  今朝の『毎日』は第一面に「 アラブ  失われた春」「始まりの町  覚めた夢」の見出しで、「革命前の社会は抑圧されていたが、生活は安定していた。今は悲惨だ」との市民の声を紹介する。さらに、「ベンアリ大統領時代の方がよかった」とのかの自殺青年のいとこの女性の声を伝え、「『春』は結局アラブ諸国に何をもたらしたか。それはわずかな民主政と多くの混乱だった」と結論する。
  なぜそうなったのか。『東京』は「まぼろしの春  アラブ民主化運動から10年」との続きものの記事の第4回の今朝、カイロ・アメリカン大学の教授の発言を紹介している。サイド・サデク教授は「革命への期待は自分たちの能力と資質を超えていた。革命後の混乱は予想以上に大きく、短期間で民主化が達成できるというのは幻想だ」と結論する。
  民主化と自由を命がけで求めたアラブの青年たちには厳しすぎる指摘かもしれない。しかし、発展途上国では軍人はときに数少ない知的エリートでもあり、いちがいに軍事独裁政権と決めつけることが正しいとも言い切れない。重視すべきは指導者たちが近代化を達成するために当面は民主主義を制限しているのか。それともイスラム原理主義者や最近の中国の習近平政権のように原理として西欧民主主義を拒否するのかであり、両者を区別する必要があろう。
 

2020年12月12日土曜日

フランスのイスラム教対策

  このたびフランスはイスラム過激派対策として「フランスの理念に反する行為」を処罰する法案を閣議決定した ( 『朝日』『毎日』12月11日 ) 。教祖ムハンマドの風刺画を教室で生徒に示した教員が殺害された事件が無論きっかけだが、最近の数次の同様のテロ事件の帰結といってよいだろう。
  ヨーロッパ諸国の中でもフランスは政教分離を国是とすることで知られる。発端はフランス革命だが、19世紀末には村の教会に警官隊が突入するといった激しい紛争にもなった。フランス人の何事にも徹底する国民性とカトリック教会の非妥協的態度が生んだ対立の激しさには、今日の日本人はそこまでやるかとの印象を持つのでは...........。
  問題は政教分離だけではない。イスラム教の女性に対する著しい差別 ( 女子教育反対、少女婚等々 ) も今日のヨーロッパでは到底受け入れられない。最近 (  2018年 ) に出版された2著、末近浩太 『イスラーム主義 』( 岩波新書 )と飯山陽 『イスラム教の論理』( 中公新書)はそのイスラム評価に大きな違いが感じられるが、それでも「イスラームの理念においては、ある国家を統べるために人が法を作るのではなく、神の法を体現するために国家がつくられるのである」(末近)とする点では両著に大きな差はない。飯山氏の説くようにイスラム過激主義とは実はイスラム原理主義であり、イスラムからの逸脱ではない。
  ヨーロッパも数百年前には中世的世界観 ( 神中心主義 ) が支配的だった。ヨーロッパが長年月をかけて克服してきた神中心主義を復活する試み=近代の否定をフランスが許せないのは当然と言える。

  

2020年12月7日月曜日

奥多摩訪問

  東京都民、とりわけ高齢者は他府県訪問を自粛せよとの政府の要請に屈したわけではないが、昨日曜日、「漂泊の思ひ止まず」? 東京の西端の奥多摩を訪ねた。
  当日、青梅マラソンが開催されると聞き、多少の不安はあった。しかし多摩川上流部には左岸の青梅街道 ( 山梨県塩山まで ) と右岸の奥多摩街道がある ので、ままよと出発した。案の定、前者は一般通行車両は禁止だったが、後者は渋滞も無く1時間半足らずで目的地の一つ、御岳渓谷の玉堂美術館に着いた。
  川合玉堂は戦時中当地に疎開し、その死まで同地で画業に勤しんだ。多分建て替えられた?旧居は落ち着いた和風の建物で、画伯の作品や画室が見られる。私は画伯の清楚な画風が大好きなので三度目?の訪問。展示作品の数が多くないのは不満だが、御岳渓谷を見下ろす絶好のロケーションにも惹かれる。
  作品鑑賞後、もう一つの目的である対岸の玉川屋のとろろそばを食した。青梅街道に面した正面は何の変哲も無い二階屋だが、御岳駅に向き合う正面は藁葺き屋根で気分満点である。30年~40年ほど前に3回ほど利用したことがあるが、コロナ禍のため食卓が半数ほどで昔日の面影は無かった。驚いたのは私自身もはや苦しくてあぐらがかけなくなっていたこと、そばを全量食べられなかったこと。
街道では警官たちが見守る中、ランナーたちが絶え間無く通過した。美術館の駐車場にとって返すと、目前の激流で若者たちがカヤックに励んでおり、30年の間にここはカヤック愛好者たちの聖地となっていた ( そのための建物や駐車場が整備されていた ) 。御岳山参詣者やハイカーは減っても同地は新たな生命力を発見したようだった。

2020年12月4日金曜日

週刊誌の役割

    少し前から女性週刊誌や男性週刊誌?で目に付いた現象に秋篠宮家と小室家関連の興味本位の記事があるが、先週 ( 11月26日号 ) から今週にかけて歴史ある出版社の『週刊文春』や『週刊新潮』までがその列に加わった。
  見出しにいわく、「眞子さま  小室さんオリンピック駆け落ち計画」「虚栄の履歴  小室さん母子の正体」( ともに『週刊文春』)、「『祝意なき婚儀』強行」「度を超えたお金目当て婚」「『髪結い亭主』との生活設計」( 『週刊新潮』)。一般市民と異なり反論もままならない相手にここまで書いていいものか。
  私は以上の記事を一つも読んでいない。しかし大半の国民もその点は同じだろう。小室さんの母は問題を抱えた人なのだろう。しかし、だからと言って小室圭さんにまで難癖を付けていいものか
  それだけではない。これまで秋篠宮妃紀子さんへのそこはかない悪意が感じられる記事が週刊誌に散見された。そこには女性天皇実現への障害となった妃への見当外れの不満が存在するのだろうか。私も女性天皇の実現を願う者だが、それへの障害は、後継問題の早期の検討を約束した政治の怠慢であり、直接にはこれまで問題解決の引き伸ばしを図ってきた安倍内閣だろう。
  これまで、週刊誌の追求が良い意味で問題提起になったテーマは少なくない。その功を否定する気はないが、弱い者いじめに加担してしくない。