2018年2月7日水曜日

杉原千畝の命のビザ

第二次世界大戦初期のリトアニアで杉原千畝領事が、ホロコーストを逃れたいユダヤ人たちに独断で日本入国のビザを発行した事実は知られている ( 杉原幸子 『六千人の命のビザ』1994年 )。しかし、これまでその詳細は必ずしも確定していなかったが、ユダヤ系ロシア人のイリア・アルトマン氏が最近ソ連外務省文書を調査して、ビザ発行数は2500人。ソ連政府は領土内通過料金を1人当たり200~300ドル徴収して許可したとのことである ( 『東京新聞』2月7日 )。

人数はもともと夫人の記憶に基づくものだったとすれば、およそ半減したとしても杉原千畝領事の偉大さに少しも変わりはない。ソ連が徴収した金額は当時としては相当の額で金目当てだったのだろう。我々としては杉原氏の功績を確定したアルトマン氏に感謝したい。

現在のポーランド政府はユダヤ人虐殺の地が「ポーランドのアウシュビッツ」と紹介されるのに大変不満だという。そう言えば、ポーランドが未だ共産党支配下だった頃、現地のポーランド人のガイドが、ユダヤ人だけでなく多くのポーランド人もここで命を落としたと妙に強調したことを思い出す。

ポーランド政府がポーランド人が被害者側だと強調するのはホロコーストに協力したポーランド人も居たからだろう。私はポーランドの事は良くは知らないが、当時ドイツの占領下にあったバルト三国が領土内でのホロコースト活動にきわめて協力的だったと読んだ記憶がある。新興独立国としてナショナリズムに燃えていた国家としては、服装をはじめとするユダヤ人の特異性は目ざわりだったのだろう。

そうした時代にユダヤ人に最後までビザを発行し続けた杉原千畝氏は日本人の誇りである。

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