2018年2月12日月曜日

八百長相撲あれこれ

ずっと以前に亡くなった母親の遺品を今頃になって整理していたら、ドイツ文学者の高橋義孝氏の『大相撲のすがた』( 平凡社 1984 )が出てきた。当時高橋氏は新聞や雑誌で市井のことによく発言しており、それらのうち大相撲への発言をまとめたものである。

八つほどの章立てのうち「逆説的八百長談議」の章を読んでみた。そのころ八百長相撲が疑われる取組が頻発し問題となっていたのが執筆の動機である。氏によれば八百長騒ぎの二大要因は、拡大する一方のマスコミが八百長相撲を話題の「タネの一つ」にしたことと、旧来の相撲ファンとともにテレビに触発された「ニュー・ファン」が登場し彼らが大相撲をスポーツと見ていることである。旧来のファンで相撲を単なるスポーツとは見ない高橋氏が八百長相撲か否かにそれほど拘泥しないのは予想通りだった。氏によれば八百長相撲を放置すれば相撲ファンが離れるというのは事実ではない。

番付を維持するためとか金銭のため八百長相撲をするのは決して許されることではない。しかし相手に対する同情や思いやりから負けてやるのが許せないとは私は必ずしも思わない。1963年9月の名古屋場所、横綱柏戸は負傷のため4場所休場したのち、奇跡的に無敗のまま千秋楽で同じ無敗の大鵬と全勝対決した。結果は柏戸が勝ち優勝したが、石原慎太郎はこれを八百長相撲と批判した ( のち謝罪した  )。両横綱は無論完全否定したが、素人の私にはなんとも言えない。しかし私は万一大鵬が自分の優勝を断念して柏戸に勝ちを譲ったのが真相としても驚かない。

取組後の控え室で涙を流している柏戸に対し1ファンが、「泣け  柏戸。俺も泣いているぞ」と叫んで柏戸を涙に暮れさせた。優勝を譲った??大鵬を私はますます好きになった。。

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