2018年2月28日水曜日

カンボジアPKOへの参加は誤りだったか

朝日新聞の読書欄 ( 2月18日 )に、「矛盾に満ちた過酷な現場に迫る」との見出しで1993年にカンボジアでのPKO ( 国連平和維持活動 ) に従事中銃撃され死亡した髙田晴行警部補の悲劇を、NHK番組スタッフが番組放映後に書籍化した報告の「本紙編集委員」による書評が載っていた ( 旗手 啓介『告白  あるPKO隊員の死 ・23年後の真実』講談社 )。

私はその番組を再放送?で見て 衝撃を受けた1人である ( 多分本ブログで言及した )。「個々の事実が言葉を失うほどの説得力をもって読者に迫ってくる」との評は間違いない。23年後に初めて詳細を報道した「これまでのメディアの無為を恥じた」とのスタッフと評者の反省は遅まきではあっても共感する。国連ボランティアだった中田厚仁さんと髙田晴行さんの死はその痛ましさと崇高さにおいて甲乙はない。

しかし、「PKOの前提だった停戦合意が事実上破綻し、再び内戦状態に突入していた」のに、「UNTAC ( 国連カンボジア暫定統治機構 ) 、日本政府ともそれを認めず、派遣要員の撤収はないとの立場に終始した」との批判には同意できない。ポルポト政権下のジェノサイドを終わらせるためには選挙による正統性付与は必要だったし、他に方法はないと判断した明石康UNTAC代表も日本政府も非難できない。完全な「内戦状態」との指摘にも誇張がある。

間もなく行われると聞くカンボジア総選挙が野党を排除しての茶番選挙との報道に接すると、中田、高田両氏の尊い犠牲は何だったかと思いたくもなる ( 幸い死者を出さなかったが、南スーダンのPKOも同様である ) 。しかし、選挙の実施がジェノサイドの続行を阻止する前提でもあった事実を忘れてよいとは思わない。

2018年2月26日月曜日

平昌冬季五輪の閉幕

17日間続いた平昌オリンピックが終わった。政治問題も絡んでスポーツ優先とばかりはいかなかったが、テロも無く 無事終了したことは喜ばしい。

他方、政治がらみだけでなく、夏冬を問わずオリンピックの開会式と閉会式の行事の多さが目立つ。多彩と言えば言えるし、今回も韓国の科学技術大国ぶりを遺憾なく反映して見事ではあったが、バッハIOC会長と韓国のNOC?会長の長い演説を含めて冗長の感もあり、じじつ私は途中でスイッチを切った。自国の歴史的発展をうたい上げたロンドン大会やブラジル大会の式典と比べても今回特別長く感じたのは、分断国家ゆえの複雑さもあろう。

とはいえ、スポーツの競い合いという本来の視点からすれば見応えのある大会だった。日本のメダル獲得が順調だっただけでは無い。小平選手のライバルへの思い遣りや女子カーリング選手たちの和気あいあいとした雰囲気など、見ていて気持ち良かったのは同国人のゆえばかりではあるまい。国民の成熟度は国の規模とは無関係なことを示した選手たちにはありがとうと言いたい。2年後の東京オリンピックも主役はあくまで選手たちであり、国威発揚では無いことを肝に銘じたい。

2018年2月18日日曜日

男子フィギュア競技の好成績

平昌五輪の男子フィギュア種目で羽生選手と宇野選手が金と銀のメダリストとなった。私はたまたま会合に出席していたため同時中継で見ることはできなかったが、夜の番組はどのチャンネルもその画像で持ちきりだった。

じつは御両人のスケーティングを見るのも目的だったが、前日のショート・プログラムで2位だったハビエス・フェルナンデスのフリーのスケーティングもぜひ見たかったのである。ショートでの彼のスケーティングにラテン的なホスピタリティを感じ好感を持ったからである。けっきよく何度もチャンネルを回してなんとか見ることができた。私の好みでは彼は銀メダリストになってもおかしくなかったが、フィギュアの採点はそんな素人の印象よりもはるかに厳密なようだ。それでも彼はスペイン初のフィギュアのメダリストになって喜んでいたので私もホッとした。

それにしても羽生選手の精神力の強さには脱帽する。「絶対王者」との表現も散見した。確かにスポーツにはコルチナ・ダンペッツオのトニー・ザイラーの三種目 ( 回転、大回転、滑降 ) 制覇のような大選手もいた。しかし前評判がどれ程高くても金メダリストになれなかった選手は掃いて捨てるほどいる。今回もフリーで最高点をとったネーサン・チェンのような伏兵?もいる。その意味でも羽生 ( と宇野 ) 選手の活躍は立派である。

フィギュア以外にもカーリングやアイスホッケーのように立派に闘っている日本人選手は少なくない。今晩のスピードスケート500メートルの小平奈緒選手の活躍を祈る。

2018年2月12日月曜日

八百長相撲あれこれ

ずっと以前に亡くなった母親の遺品を今頃になって整理していたら、ドイツ文学者の高橋義孝氏の『大相撲のすがた』( 平凡社 1984 )が出てきた。当時高橋氏は新聞や雑誌で市井のことによく発言しており、それらのうち大相撲への発言をまとめたものである。

八つほどの章立てのうち「逆説的八百長談議」の章を読んでみた。そのころ八百長相撲が疑われる取組が頻発し問題となっていたのが執筆の動機である。氏によれば八百長騒ぎの二大要因は、拡大する一方のマスコミが八百長相撲を話題の「タネの一つ」にしたことと、旧来の相撲ファンとともにテレビに触発された「ニュー・ファン」が登場し彼らが大相撲をスポーツと見ていることである。旧来のファンで相撲を単なるスポーツとは見ない高橋氏が八百長相撲か否かにそれほど拘泥しないのは予想通りだった。氏によれば八百長相撲を放置すれば相撲ファンが離れるというのは事実ではない。

番付を維持するためとか金銭のため八百長相撲をするのは決して許されることではない。しかし相手に対する同情や思いやりから負けてやるのが許せないとは私は必ずしも思わない。1963年9月の名古屋場所、横綱柏戸は負傷のため4場所休場したのち、奇跡的に無敗のまま千秋楽で同じ無敗の大鵬と全勝対決した。結果は柏戸が勝ち優勝したが、石原慎太郎はこれを八百長相撲と批判した ( のち謝罪した  )。両横綱は無論完全否定したが、素人の私にはなんとも言えない。しかし私は万一大鵬が自分の優勝を断念して柏戸に勝ちを譲ったのが真相としても驚かない。

取組後の控え室で涙を流している柏戸に対し1ファンが、「泣け  柏戸。俺も泣いているぞ」と叫んで柏戸を涙に暮れさせた。優勝を譲った??大鵬を私はますます好きになった。。

2018年2月10日土曜日

公立小学校生徒にアルマーニの服を?

東京以外ではさしたる話題になっていないかも知れないが、東京ないし首都圏では中央区泰明小学校が次年度から生徒の標準服としてアルマーニの製品を選んだことが話題となっている。学区の父兄から、これまでの二倍半の価格の標準服 ( 実質は制服だろう ) を買わせることへの反対の声が挙げられたのである。

東京新聞 ( 2月10日 )によれば、もっと慎重な手続きが必要だったとは認めているが校長は 「服育」という教育方針を挙げている。「子どもたちが高価な物を扱えば所作もよくなる」のであり、「泰明小学校だからこそアルマーニの高級な制服が適している」との信念を校長は堅持しているようだ。

常識的には公立学校で高価なブランド服を実質強制するのが問題なことは言を俟たない。自由意志で入学する私立校とは基本的に異なる。島崎藤村や近衛文麿らを卒業生に持つ名門校といえども例外では無いはず。ただ、同校は本来の学区外でも中央区の住民であれば児童の入学を拒まない「特認校」で、言わば私立校に近い存在のようだ。そのため入学可能をウリにする貸しマンションまである地区のようだ。想像だが、ブランド服に反対する親はもはや少数派なのかも知れない。

それでも公立学校がブランド服を実質強制するのには疑問を禁じえない。「所作」は良くなるかも知れないが、子どもが妙なエリート意識を持つ可能性はあるのでは無いか? その昔、西洋料理の食卓マナーを身に付けさせるため学生に一流ホテルの料理を経験させた大学の例もあったと聞くが、レベルの違う話のようだ。

2018年2月7日水曜日

杉原千畝の命のビザ

第二次世界大戦初期のリトアニアで杉原千畝領事が、ホロコーストを逃れたいユダヤ人たちに独断で日本入国のビザを発行した事実は知られている ( 杉原幸子 『六千人の命のビザ』1994年 )。しかし、これまでその詳細は必ずしも確定していなかったが、ユダヤ系ロシア人のイリア・アルトマン氏が最近ソ連外務省文書を調査して、ビザ発行数は2500人。ソ連政府は領土内通過料金を1人当たり200~300ドル徴収して許可したとのことである ( 『東京新聞』2月7日 )。

人数はもともと夫人の記憶に基づくものだったとすれば、およそ半減したとしても杉原千畝領事の偉大さに少しも変わりはない。ソ連が徴収した金額は当時としては相当の額で金目当てだったのだろう。我々としては杉原氏の功績を確定したアルトマン氏に感謝したい。

現在のポーランド政府はユダヤ人虐殺の地が「ポーランドのアウシュビッツ」と紹介されるのに大変不満だという。そう言えば、ポーランドが未だ共産党支配下だった頃、現地のポーランド人のガイドが、ユダヤ人だけでなく多くのポーランド人もここで命を落としたと妙に強調したことを思い出す。

ポーランド政府がポーランド人が被害者側だと強調するのはホロコーストに協力したポーランド人も居たからだろう。私はポーランドの事は良くは知らないが、当時ドイツの占領下にあったバルト三国が領土内でのホロコースト活動にきわめて協力的だったと読んだ記憶がある。新興独立国としてナショナリズムに燃えていた国家としては、服装をはじめとするユダヤ人の特異性は目ざわりだったのだろう。

そうした時代にユダヤ人に最後までビザを発行し続けた杉原千畝氏は日本人の誇りである。

2018年2月4日日曜日

バードウォッチャーたち

日曜日の今朝、最寄り駅前に三脚付きの望遠鏡を持つ30人ほどの大人が集まっていた。バードウォッチャーたちのグループである。我が家は多摩川の支流の大栗川を見下ろす丘の中腹にあるので日によってカモメや白鷺などが東京湾から遡上してほぼ水平の高さで舞っていたりする。そのうちの1部が岸で魚をあさっているのが被写体となるのだろう。

より少人数の10人ほどのグループもときどき見かける。こちらは三脚付きのカメラを持つ人たちで、野鳥撮影のアマチュア写真家たちである。駅から歩いて30分ほどの聖蹟記念館の森の中などにセキレイなどの野鳥が水を飲みにくる水溜まりがある。そこで鳥の飛来を辛抱強く待つ人たちをよく見かける。辛抱強くと言ったが、待つ間の仲間との交流も目的のひとつなのだろう。

バードウォッチングそのものはヨーロッパでは当初は上流階級の趣味であり、第一次大戦開戦時のグレイ英国外相が知られているが、いまや広汎な人たちの趣味となっているようだ。私が感心するのは、三脚上のカメラに装着している望遠レンズである。大きいものはバズーカ砲と見紛うばかり。ときに数10万円もするそんな高価なレンズを使わなくても野鳥を十分写せるはずなのに......。

しかしレンズやカメラがいくら高価でも、車のように排ガスを出すわけでなく、他人に迷惑をかける訳でもない。趣味として大いにはげんでも何の問題もない。ただ、終活に際してあまりに安い処分価格にさぞがっかりするだろうと老婆心ながら考えてしまう。それでも他の趣味より不利という訳では無いだろうが..............。