2014年12月31日水曜日

国土の均衡ある発展は?

エアアジア航空機の墜落が確認されたようだ。格安航空会社の便だから危険ということではなく、想定外の天候不良だったのだろうが、飛行中の航空機事故は惨事とならざるを得ない。それでも他の交通機関と比べて航空便の便利さは長距離では圧倒的である。札幌から羽田への移動時間と羽田から多摩市の自宅への移動時間はほとんど同じだった!

私が初めて北海道を訪ねたとき未だ津軽海峡トンネルは無かったが、今や新幹線で北海道( 函館までだが )に行ける時代となった。洞爺丸沈没も名作映画『飢餓海峡』も遠い記憶となった (主演の三國連太郎も左幸子も )。私は札幌への新幹線開通を心待ちにしている。降雪による欠航も考えれば空路以外にも複数の交通手段があっても良い( 異常気象の増加もある )。

とはいえ、リニア新幹線が必要かとなると、いくら.JR東海が自己資金で建設するといっても首を傾げたくなる。恐らく東海地震も裏の建設理由なのだろうが、テレビ電話も更に改良されるだろう。人口減少時代に表日本、それも東京・阪神間だけに投資を集中することが妥当だろうか。田中角栄元首相の「日本列島改造論」に問題はあったかもしれないが、「国土の均衡ある発展」は間違いではなかったろう。日本海側の大雪情報を聞くたびに、太平洋側とのあまりの違いが気になる。もう声を上げても遅いかもしれないが..........。

2014年12月29日月曜日

中国の広大さ

NHKのBSプレミアムで二日にわたり「星の生まれる海へ」前後編を見た。黄河の最源流の地である(青海省の)「星宿海」と呼ばれる広大な湖沼地帯(海抜4000米台)まで黄河をさかのぼる番組で、今さらながら中国の広大さに圧倒される思いだった。

星宿海というロマンチックな名称は何十何百とある沼を星に見立てたのかと思ったら、文字どうりそれぞれの沼が夜に空の星々を映すことから名づけられたようだ。住民はほとんどチベット仏教の信者で、これはチベットや青海省だけでなく、中国の西部一帯( 四川、雲南など中国本部の諸省の西部も )も同じである。中国がチベットの独立を断固拒否するのはそのためだろう。

中国の二大大河 (黄河と長江 )の源流は青蔵高原の極めて近いところに発する。二十年ほど前、私は雲南省の大理 (大理石の産地 )から更に奥地の長江上流部 (重慶のさらに上流 )の、長江をまたぐ最初の橋(という)の先の虎跳峡(幅四、五十メートルあり、虎も跳べまい)を訪ねた。もはや源流部とは言えないが、既に長江は濁流だった。途方もない国だと思った。

雲南省の省都昆明は日中戦争時、(将来の)連合国が蒋介石の中国に援助物資を送ったビルマルートの中国側の拠点だった。当時使用された飛行場の跡があるとか。ロシアに奥深く攻め入って敗北したナポレオンの轍を踏むと予想した日本の指導者は居なかったのだろうか。居ても少数だったということか。

2014年12月27日土曜日

完全な入試方法などない

中教審が大学入試の改善のためプレゼンテーション能力や面接を加えた選抜方法を提案している。机上の空論にしか思えない。法政大学の受験者は十万人( ? )に達すると新聞で読んだ。この記憶が正しくないとしても受験者一万人以上の大学はザラにあるだろう。そこで丁寧な人物考査がなされるはずがない。

問題は実際的困難( これも巨大だが )だけではない。そもそも面接評価からは主観性を排除できない。面接担当者がどれほど努力しても、仮に相当の時間をかけたとしても主観的評価を排除できない。

私は公平性は入試の絶対条件だと考える。私はかつて受験有名校で教えたことがある。厳しい受験競争の渦中の生徒たちに同情したが、「今後の人生で大学入試ほど公正な扱いを受けることは二度とないと思え」と彼らを励ました。もし公平性が確保されないと思えば彼らはこれまでほど努力をしなくなるだろう。

むろん人間の能力は多面的であり、現在の入試はそれを充分評価できないだろう。しかし欠点を是正するために公平性に疑問が生ずることは避けるべきである。

もし仮に完全無欠の入試方法があるとすれば( 私はそう思わないが )、有名一流大学以外の大学生は能力が絶対的に劣ることになる。何と彼らは浮かばれないことか! だが実際には彼らから無数の優れた人材が生まれている(ノーベル賞が全てではないが、下村脩氏、中村修二氏、それに山中伸弥氏も!)。人間の能力の多面性を考えれば当然のことである。完全を求めて角を矯めて牛を殺すことがあってはならない。

2014年12月18日木曜日

米国とキューバの和解

オバマ政権がキューバとの国交正常化を目指すという。順調にいけば両国にとって有益である。共和党が和解の邪魔をしないよう願う。

1959年のキューバ革命以前、米国の企業は親米的バティスタ政権を支持していたとされるが、同国
のジャーナリストにはカストロの反乱軍を支援する気運があった。軍人出身のバティスタが独裁者だからという米国人好みの反対理由もあったが、私は原住民と中国人の血をひくバティスタへの米国人のレイシズムの疑いを持っていた( 何しろ白皙長身のカストロとでは違いすぎた! )。しかし、米国人ジャーナリストが勝手に作り上げた独裁者と闘う民主主義者カストロの像は一年ともたず、米系資産の接収を機に米国のマスコミには反米主義者となった。当時は米国の頑なな政策がカストロを共産主義に追いやったとの見方が強かったが、カストロの米国資本主義への敵意はそんな根の浅いものではなかったろう。

1962年のキューバ・ミサイル危機はソ連のミサイルの撤去で終わったが、キューバへのミサイルの持ち込みはソ連が要求したともキューバが望んだとも言われた。真相はともかく、カストロが撤去に反対したことは事実のようだ。毛沢東と同様にカストロが、ソ連共産主義が勝利するなら原水爆戦争も辞さない「革命家」だった可能性は小さくない(その点で革命家ではなかったフルシチョフと違うだろう )。もっとも、それ以前にケネディ大統領はCIAによるカストロ暗殺を許可していたと言われるので、米国の手が汚れていなかった訳でもない。

過去はどうあれ、ソ連共産主義が崩壊した現在、米国が軍事的にはもちろんイデオロギーの上でもキューバを恐れる理由は乏しいし、キューバにも米国を敵視する理由は無くなった。キューバとの和解が、何でも反対の共和党右派に手を焼くオバマ氏の功績の一つとなるよう願う。

2014年12月16日火曜日

家康の特許状

毎年一回? 二年間留学した英国のカレッジの通信Newsletterが送られてくる。離れてから五十年近くともなればカレッジの近況にそれほど関心も持てないので、丁寧に目を通すこともなく屑篭に放り込んでいた。しかし今回はカラー刷りで28ページの特別版だったのでさらりと目を通したら、日本語の立派な手紙の写真が載っていた。説明文を読んだら400年前家康が英国人に貿易と居住を許すとした七箇条の特許状だった。1985年に大学 (University )図書館で見つかったのだが、中国関係の文書ファイルに紛れていたのだという。達筆で私には読めないが、専門家が見たら何がしかの発見があるかもしれない。

通信の最後のページにカレッジへの今年の寄付者 (250人ほど )のリストがあった。春ごろのブログに書いたように私もその一人なので、Hの箇所を探したら私の名前もあった (ためしに他に8人の同胞の名前があった )。これでオレオレ詐欺でなかったことは確認できた!

リストの反対のページにカレッジの初代学長のDeakinを記念する会の記事があった。入会すると行事への招待などの特典があるとか。氏の温顔には何度か接したが出席する可能性もないだろう (寄付要請が怖い? )。氏は日本学者のR.ストーリーとの共著でゾルゲ事件を書いている (河合秀和氏の邦訳有り )。
氏は第二次大戦中、ユーゴスラビアの反独レジスタンスとの連絡のためドイツ軍占領下の同国に落下傘で降下した。英国では戦争中、外国語の出来る知識人は諜報活動に従事した人が少なくないが、ここまでした人は少ないだろう。

2014年12月14日日曜日

日本語の劣化を防止せよ?

内舘牧子の『カネを積まれても使いたくない日本語』( 朝日新書 )をテレビの『久米書店』(久米宏の書評番組らしい。始めて視聴 )で取り挙げていた。一度読みたいと思っていたので買わないで済ませようとチャンネルを回した! 番組での内容紹介によると、1 ) チョー、やっぱ、ぶっちゃけ、マジ、ヤバイなど若者から広まった短縮語系?   2 ) とか、みたいな、かな、などを語尾につけてハッキリ物を言わない言い方、  3 ) 「お訴えさせて頂く」式の政治家や、客商売のマニュアル通りの表現など過剰なへりくだりの三種に分類されていた。しかしテレビでは2と3が主として槍玉に挙がっていた。

私は、2は相手との意見の対立を緩和しようとする日本的な便法でそれほど不快でも無かったし、3も日本語に悪影響を与えるほどではないと思うが、1は日本語劣化に一役買いかねないと考えてきた。「言葉は生きている」ことは認めざるを得ないとしても、短縮系で何れだけ時間の短縮になるというのか( むろん短縮自体が目的ではないと思うが )。さらに言えば、「真逆」、「自分的には」、「メーン」など、これ迄の「正反対」、「自分としては」、「メイン」では何がいけないのか! 

最後の「メーン」は某新聞が用語をこれに統一したようなので (他のメディアはそうではない )、せっかく原語の発音により近く、「メイン・ダイニング」、「メイン・コース」など広く使われているのに何故かと投書したが無論不採用となった。その後調べたら、岩波の「広辞苑」や「国語辞典」が「メーン」を採用していると知った。岩波文化をやたら有り難がる新聞とは知っていたが.....。ところが二、三日前に「メイン」が複数回使用されていた。これが良い方向への変化だったら良いのだが。


2014年12月11日木曜日

米国の人種差別

米国で黒人が白人警官に殺される事件が相次いでいる。ケースごとに地域の実情は異なるようだが、結果として不審行動ないし不法行動中と見なされ、あっという間に殺された点は共通している。銃が簡単に手に入る米国では日本の警察官のような慎重な行動を求めることは実際的ではないだろう。だが、それにしても警官が簡単に発砲するとの印象は強い。黒人たちが憤るのも理解できる。オバマ大統領の立場はひときわ苦しい。

人種差別とりわけ黒人差別は米国の宿痾と言ってよかろう。独立宣言の「すべての人は平等に造られた」のすべての人に黒人( と女性 )は含まれなかった。「建国の父祖たち」にはジェファーソンら奴隷主が少なくなかった。例を挙げだしたらキリが無いが、民主主義を標榜して戦われた二つの世界大戦の時代でさえ人種差別状況は続いていた。真珠湾攻撃の飛行総隊長だった淵田美津雄の回想録によると、敗戦後、GHQに呼び出され尋問された際の相手の一人は真珠湾攻撃の体験者だったが、これだけ見事な作戦がジャップに出来るはずがない、ドイツ人が指揮したのだろうと当時考えられていたと語った。その何日かのち、黒人兵に都心のビルに連行された。最悪の場合も覚悟したが、着いた先は黒人兵専用のバーで、何故連れて来られたか分かるかと聞かれた。分からぬと答えたら、世界で一番真珠湾攻撃を喜んだのは米国の黒人だったと告げられ、歓待された!


法律は変えられても人の心は簡単ではない。それでも状況の改善は不可能ではあるまい。英国に留学していた1960年代の中ごろ、あの独特の帽子のロンドン警官にインド系英国人が初めて採用され、本人も誇りを感じていると新聞で読んだ。事件のあったミズーリ州ファーガソンの人口は黒人が三分の二を占めるのに警官は白人50人、黒人3人だった。対策の第一歩はこの比率を人口比でとは言わないとしても大幅に変えることだろう。容疑者と黒人同士であればもっと冷静に対応できるだろうし、黒人の高い失業率を僅かでも改善できる。対立感情を緩和することが何より重要だろう。

2014年12月10日水曜日

早速訂正!

書いたばかりのブログ「オリンピックの岐路」にサッカーのW杯やテニスのウィンブルドンの廃止と書いたのはオリンピック種目からこの二種目を廃止せよの打ち間違いです。悪しからず!

オリンピックの岐路?

平昌の次の?冬季オリンピックの開催候補地の辞退が相ついでいるという。夏季オリンピックは未だそうなっていないようだが、やがてそう成り兼ねない。理由はかなりはっきりしている。大会の規模が巨大化した結果、開催費用が莫大になり、中小国の都市は負担し切れなくなったのである。国民が多額の出費に反対するようになったのはある意味で健全である。

各競技の関係者がオリンピックの実施競技に選ばれたいと願うのはよく分かる。女子ソフトボールが北京オリンピックで優勝した時と、世界選手権で優勝した時( 確かロンドンオリンピックとほぼ同時期 )のメディアの扱いの違いは、こうも掌をかえすような扱いが出来るのかと、傍観者の私が義憤を覚えるほどのものだった。そうした現状のまま一部の国しかオリンピックを開催出来なくなるとしたら、オリンピックの理想に反する。

素人の私が知る限りでも種目別で以前はなかったリレーなどが増えた。その結果、日本人に不利な陸上短距離で多年努力してきた朝原選手らがメダルを手にしたのは嬉しかったが、全体の規模の拡大は無論維持さえも問題を含んでいる。サッカーのW杯やテニスのウィンブルドンのようにオリンピックよりも選手が重視する大会は廃止して良いのではないか。

当面はせめて国威発揚をねらった華美な開会式や閉会式は抑えたい。東京オリンピックはその点で模範となって欲しいし、メディアには過大な報道で煽りたてることのないよう求めたい。既成施設の利用を重視しているかに見える舛添都知事には大いに期待している。

2014年12月5日金曜日

自民党の大差の勝利?

近ずく総選挙での自民党の獲得議席数は「300議席超す勢い」だという。最初は一つの新聞の調査に過ぎないと思っていたが、他の全国紙もほとんど同じ言葉で自民党の勝利を予測しているという。この時期の選挙自体は決して国民に歓迎されていないと聞いていたのに。選挙の最終結果を聞くまでは断定できないとはいえ、この予測はどういうことか。

最大の理由かどうかは別として、大きな理由はアベノミクスに対して野党が十分な対案を示していない( 示せなかった )ことにあるだろう。野党諸派のアベノミクス批判が最終的に正当化されるかは未だ何とも言えないが、企業収益の改善、それを受けての株価の大幅上昇、ベースアップでなくとも賞与金額の増加、失業率の低下、人手不足など当面の経済指標は一定の改善を示している。ノーベル経済学賞受賞者のスティグリッツが言うように、長期のデフレ政策( というよりデフレ放置政策 )が事態を改善しなかった以上、アベノミクスは試す価値があったと言えるのだろう。株価上昇など一握りの資産家を利しただけとのメディアの批判は本当に正しいだろうか。近年の「貯蓄から投資へ」の長く続いた官民キャンペーンに乗った国民は少数とも言い切れない。失業率の低下や人手不足は正規雇用者の増加を必ずしも意味しないとはいえ、それらが非正規雇用者の立場(バーゲイニングパワー)を強める方向に作用することは否めない。彼らは本当にアベノミクスに反対だろうか?

要するに野党側は既成概念に安住して後手にまわったのであり、批判だけでは国民の支持を得られなかった( らしい)のではないか。もっとも結果次第では私は頭を丸めなければならない!

2014年12月1日月曜日

大川小学校の悲劇

NHKテレビで、生徒の死者74名、教員の死者10名(1名生存 )を出した石巻市の大川小学校の悲劇を特集番組で取り上げていた。避けようがない死なら兎も角、すぐそばに山( 険しいが)があるのに地震後50分間を無為に過ごした末の津波死は、残された家族にとって納得できないのは無理もない( 生徒からも教員からも山への避難を求める声は挙がったという)。遺族と市教委との話し合いは何度かあったが、23名の遺族が納得できないとして訴訟に踏み切ったという。

海により近い石巻市の他の小学校では集団被害は無かったという。悲劇の最大の原因が、海から4キロの地点まで津波が到達するとは予想できなかったことにあることは遺族もよく分かっているだろう。それでも三割強の親が訴訟に訴えたのは市教委も第三者検証委員会もどれほど迫られても教員側の責任を明言しなかったことにあろう。死者の責任を問いたがらない日本人の心性もあろうし、想像だが教員の責任を認めれば教員個人が賠償責任を求められることを危惧したのだろうか。

死亡した生徒の親であり自身現役の教員で、追求相手の市教委には元同僚もいるS氏は、自らの調査の一応の結果として、教員たちが山への避難により生徒たちが怪我したり泥まみれになったりすることを危惧した事なかれ主義があったと判断した (私の想像もそうだった)。何をそんな小さなことでと思うのは結果を知る者の傲慢かもしれない。もし生徒たちの何人かが怪我をしたのに津波が襲来しなかったら教員たちは非難されなかったかどうか。悲劇の下地に責任を追及したがる現代社会の非寛容化と、それに備える事なかれ主義を指摘するのは誤りだろうか。