2014年1月20日月曜日

モネ展を見て

国立西洋美術館で開催中の「モネ・風景を見る眼」を見た。モネの絵は私も大好きだが、日本人のモネ好きも度を越しているとも感ずるので今回のイベントには無関心を装っていた。しかし招待券を頂いたので晴れて(?)見ることになった。
百点ほどの展示作品のうちモネ作は36点だった。すべて日本に所蔵されている作品(ポーラ美術館19、西洋美術館15、個人蔵2)で、さすがに有名作品は少なかったが、これだけ揃うと壮観だった。松方幸次郎とポーラ社の鈴木常司には感謝しなければならない。

私がこの展覧会に早速足を運ばなかった理由は気恥ずかしさの他にも、宣伝や紹介記事(特に後者)をあまり見かけなかったことがある。会場でその理由が判った。主催者の一員である新聞社は私の購読紙のライヴァルだった。新聞社も企業である以上、自社主催(または後援)のイベント紹介に熱を入れるのは止むを得ない。しかし、他社のイベントならその内容に拘らず無視ないし軽視するのでは、文化事業に従事している自覚を疑われる。

実は過去にも同じ経験をした。アメリカのバーンズ・コレクションは門外不出だったため、過去にはパリ(1993)と東京(1994)しか公開されなかった。1993年に私は偶々パリに滞在中だったので、評判を聞きオルセー美術館に出かけたが、入場券を買う十重二十重の行列に断念して帰った(のちチケット店で入場券を買い、時間を選んで出かけた)。セザンヌの「カルタをとる人たち」は有名だが、オルセーの所蔵画はカルタをする人だけの絵だが、バーンズのそれはそれを見守る人たちも描かれ、大きさも倍以上あった。大きさと価値とは比例しないが、パリっ子が見過ごせなかったのは理解できた。ところが日本でのバーンズ・コレクション展は他社の主催だったため、記憶に誤りが無ければ私の購読紙にほとんど無視された。日仏での公開はフィラデルフィアの本拠が一時閉鎖した時期だったので実現した。いま見たい日本人はフィラデルフィアに足を運ばなければならない。私自身は二度と見ることはないだろう。

2014年1月19日日曜日

年金記録解明の結末

昨日の新聞によれば年金記録の解明に一応の区切りがつき、不明とされた五千万件のうち二千万件あまりは未解明のまま残ったという。私のとっている新聞は結果に不満のようだが、未解決の件数の九割近くは連絡不能と連絡したが無回答ということなら、それほど悪い結果ではないのでは。かけた費用の四千億円に値する結果だったかと言われれば難しいところだが、解明を要求したのはメディア側であり、その点は批判できない。

この問題が論議を呼んだ頃、私は長妻氏の追求姿勢には多少の違和感を覚えていた。そもそも反対しにくい「正論」を振りかざして相手を厳しく追及するスタイルを私はあまり好きではないが、それ以上に社会保険事務所の職員への責任追及がすべて正しいのか、中には事業主との「共謀」が従業員のために為された場合もあるのではないかと考えたためでもあった。

ところが、僅かながら私は長妻氏の追求の恩恵を受けることになった。定年退職時これまでの職歴一覧を勤務先に提出したが、その時確認のため十一ヶ月だけ在職した都立高(そこで私は網野善彦さんの知遇を得た)に電話したところ、あなたが勤務した記録はないと言われ驚いたことがあり、どうせ大した金額ではないので放置していた。社会保険事務所から調査用紙が来たとき、他に書くこともないのでこういう経験をしたことがあると記入した。すると忘れた頃に突然、貴方の主張は確認されましたとの連絡があった。年金の増加額は雀の涙だったが、五年間(?)の払い戻しがあった。私は長妻氏に感謝すべきなのか?

最近裁判所が旧社会保険事務所の職員の処分不当との訴えに対し免職は行き過ぎであるとの判決を言い渡した。政治家やマスコミの追及がバッシングの域に達していたと考える私は、ポピュリズムに屈しなかった裁判官に拍手を送りたい。今後ともポピュリズムへの警戒を忘れたくない。

2014年1月16日木曜日

川上哲治が一塁手だった頃

去年秋、川上哲治が亡くなった。巨人軍監督としてプロ野球界でいわば位人臣を極めた彼なら呼び捨てにするのは躊躇するが、私がこの目で見たのは一塁手川上だった。

戦後すぐプロ野球が再開され、確かその年は若林、藤村らを擁した阪神が優勝した。その翌年、まだ名古屋ドームはおろか中日球場も無かった時代、中学生だった私たちは巨人阪神のオープン戦のため鳴海球場に足を運んだ。また、その二、三年後、同じ球場で正規の巨人阪神戦を見た。オープン戦では伝説の若林ら阪神投手陣が巨人を抑え、翌年の正規戦でも巨人軍は阪神の梶岡という好投手に完全に抑えられ、巨人ファンだった私をがっかりさせた。しかし、セカンド千葉やショート白石の華麗な内野守備、(初代?)塀際の魔術師と言われたレフト平山のプレーなど目に焼きついた。不思議な縁と言うか、のちに平山選手の姪と知り合いになり、今でも年賀状を交わしている。結局、川上らしい打撃ぶりは見れなかったし、のちの巨人九連覇の時代は熱心なアンチ巨人だったので、球場に足を運ぶことも無かった。
その巨人全盛期だったか、偶然ラジオで草創期のプロ野球選手四、五人の座談会を聴いた。その中でセネタースの名セカンド苅田久徳だったか、大学卒業後なにを職業にするか考えていたところ、職業野球が発足したと聞いた。卒業後も野球を続けられると知って天にも昇る気持ちで、給料の多寡など考えもしなかったと語っていた。私をファンにさせたのは彼らが心から野球を愛していたからだと納得し、感動を禁じえなかった。

2014年1月15日水曜日

東京市歌の復活を!?

前々回のブログで古関裕而の軍歌に言及したとき、肝心の「海の進軍」という題名を書き忘れた。実際は題名から作曲者名を割り出したのであり、古関の名を見たとき私はこの曲を私が好きな理由を納得したのである。歌詞は軍国少年が感激したていのものだが、海鷲や七生報国など当時の少年たちを鼓舞した常套句がどう使われたかを知るぐらいの価値はあろう。
今回取り上げる東京市歌もYoutubeで聞くことができる。大正五年の作というこの歌を私の世代は小学校の音楽の授業で習ったが、覚えている人は少ないようで、ましてその前後の世代には存在さえ知る人は少ない。私も作曲者が山田耕筰であるとは最近知った。戦後新しい東京都歌が作られたのは市歌に二箇所皇室関連の箇所があったためであろう。しかし東京都歌を知る人は殆んどいないのでは。
私には山田耕筰作曲の歌が全く忘れられているのが残念で仕方がない。二箇所ぐらいの歌詞を改めることはその気になれば容易であろう。著作権の有無はわからないが、作詞者の子孫も歌が再び注目されることで満足していただけるのでは。実現可能性が極めて乏しいことは重々承知しているが、戦時中同級生にろくに挨拶も出来ずに東京を離れた私にはこの歌が忘れられることに未練が残る。

2014年1月7日火曜日

世界遺産指定の功罪

旧年に富士山(むかしは冨士山だった!)が世界文化遺産に選定されたことは喜ばしく、とりわけ自然遺産から文化遺産に切り替えた関係者の着想の良さは表彰ものであろう。古くは山部赤人の昔から大観ら近代絵画に至るまで冨士は文化的創造の源泉だった。むろん自然物としても飛び切り美しい。ただ最近は山麓のどこに行ってもカメラの放列で、その仲間となることは気恥ずかしい限りで、素通りしてしまうことも多い。
しかし、世界遺産への指定は歓迎すべきことばかりでは無いのは残念である。むかし「美幌峠の大観」は北海道の観光地の最たるものだった。とりわけ草原が緑の季節、美幌の町から登ってきて突然、青い屈斜路湖を見下ろす峠に着いたときの感動は特筆ものだった。ところが数年前、道北ツアーに参加したら、バスは美幌峠を夕方暗くなってから通過(!)した。世界遺産知床の観光船に午前中に乗船するには、峠の先の川湯温泉あたりに一泊するのが好都合なのである。知床半島が三度目か四度目だった私はがっかりした。
そもそも今回世界遺産について書く気になったのは、正月休みに送られてきた旅行社のパンフレット(もはやパンフレットなどという厚さではない。写真集とでも言おうか)の印度ツアーに目を通したためである。印度の世界遺産8,9箇所(名前を知っているのは半分以下)をまわるというのに、高校教科書に出てくるアジャンターの石窟寺院も無ければ、ボンベイ、カルカッタといった大都市も入っていない。僅かに聖地ベナレスの入ったツアーはあるが、仏教遺跡を含んだツアーはなかった。もはや世界遺産でなければ見る価値がないと言わんばかりである。日本の旅行社のツアーなのに、これが本当に日本人旅行者の希望通りのコースなのであろうか。
もう個人で印度旅行をする気力の無い私には印度は遠くなるばかりである。

2014年1月6日月曜日

Youtubeの宣伝?

結果として一企業(?)の宣伝となるかも知れませんが、意に介せず書きます。

発端は題名を忘れた軍歌を調べたこと。戦時中でもほとんど歌われず、高齢者でも知る人は少ない日本海軍をテーマにした軍歌が好きで私は全四番まで歌詞を暗記していた。しかし、題名も作者名も分からず、覚えている歌詞が正しいかどうか調べようがなかった。偶然、テレビでだと思うが、作曲者は古関裕而と知った。「長崎の鐘」や「栄冠は君に輝く」など数々の名曲を作った古関は多くの軍歌を作った。それらは戦時中に愛唱されたが、メロディーは一抹の哀愁を帯び、あまり軍歌らしくなかった(歌詞は別だが)。ともあれ、インターネットで記憶した歌詞が正しかったと確認できたが、Youtubeと付いた場所を押したら何と曲まで流れてきた。
それ以来、味をしめて(無料だと聞いたので)色々な曲を聴くようになった。今朝もサイモンとガーファンクルやアダモを聴いて良い気分になった。以前は歌番組で気に入った曲を選んで録画したりしていたが、そんな手間は一切無用となった。インターネット技術の進歩には驚くばかりだ。これで悪用さえなければインターネット万々歳なのだが、そうばかりでもないようだ。自分にも皆さんにも被害が無いことを祈るばかりだ。