百点ほどの展示作品のうちモネ作は36点だった。すべて日本に所蔵されている作品(ポーラ美術館19、西洋美術館15、個人蔵2)で、さすがに有名作品は少なかったが、これだけ揃うと壮観だった。松方幸次郎とポーラ社の鈴木常司には感謝しなければならない。
私がこの展覧会に早速足を運ばなかった理由は気恥ずかしさの他にも、宣伝や紹介記事(特に後者)をあまり見かけなかったことがある。会場でその理由が判った。主催者の一員である新聞社は私の購読紙のライヴァルだった。新聞社も企業である以上、自社主催(または後援)のイベント紹介に熱を入れるのは止むを得ない。しかし、他社のイベントならその内容に拘らず無視ないし軽視するのでは、文化事業に従事している自覚を疑われる。
実は過去にも同じ経験をした。アメリカのバーンズ・コレクションは門外不出だったため、過去にはパリ(1993)と東京(1994)しか公開されなかった。1993年に私は偶々パリに滞在中だったので、評判を聞きオルセー美術館に出かけたが、入場券を買う十重二十重の行列に断念して帰った(のちチケット店で入場券を買い、時間を選んで出かけた)。セザンヌの「カルタをとる人たち」は有名だが、オルセーの所蔵画はカルタをする人だけの絵だが、バーンズのそれはそれを見守る人たちも描かれ、大きさも倍以上あった。大きさと価値とは比例しないが、パリっ子が見過ごせなかったのは理解できた。ところが日本でのバーンズ・コレクション展は他社の主催だったため、記憶に誤りが無ければ私の購読紙にほとんど無視された。日仏での公開はフィラデルフィアの本拠が一時閉鎖した時期だったので実現した。いま見たい日本人はフィラデルフィアに足を運ばなければならない。私自身は二度と見ることはないだろう。