2014年12月10日水曜日
オリンピックの岐路?
平昌の次の?冬季オリンピックの開催候補地の辞退が相ついでいるという。夏季オリンピックは未だそうなっていないようだが、やがてそう成り兼ねない。理由はかなりはっきりしている。大会の規模が巨大化した結果、開催費用が莫大になり、中小国の都市は負担し切れなくなったのである。国民が多額の出費に反対するようになったのはある意味で健全である。
各競技の関係者がオリンピックの実施競技に選ばれたいと願うのはよく分かる。女子ソフトボールが北京オリンピックで優勝した時と、世界選手権で優勝した時( 確かロンドンオリンピックとほぼ同時期 )のメディアの扱いの違いは、こうも掌をかえすような扱いが出来るのかと、傍観者の私が義憤を覚えるほどのものだった。そうした現状のまま一部の国しかオリンピックを開催出来なくなるとしたら、オリンピックの理想に反する。
素人の私が知る限りでも種目別で以前はなかったリレーなどが増えた。その結果、日本人に不利な陸上短距離で多年努力してきた朝原選手らがメダルを手にしたのは嬉しかったが、全体の規模の拡大は無論維持さえも問題を含んでいる。サッカーのW杯やテニスのウィンブルドンのようにオリンピックよりも選手が重視する大会は廃止して良いのではないか。
当面はせめて国威発揚をねらった華美な開会式や閉会式は抑えたい。東京オリンピックはその点で模範となって欲しいし、メディアには過大な報道で煽りたてることのないよう求めたい。既成施設の利用を重視しているかに見える舛添都知事には大いに期待している。
2014年12月5日金曜日
自民党の大差の勝利?
近ずく総選挙での自民党の獲得議席数は「300議席超す勢い」だという。最初は一つの新聞の調査に過ぎないと思っていたが、他の全国紙もほとんど同じ言葉で自民党の勝利を予測しているという。この時期の選挙自体は決して国民に歓迎されていないと聞いていたのに。選挙の最終結果を聞くまでは断定できないとはいえ、この予測はどういうことか。
最大の理由かどうかは別として、大きな理由はアベノミクスに対して野党が十分な対案を示していない( 示せなかった )ことにあるだろう。野党諸派のアベノミクス批判が最終的に正当化されるかは未だ何とも言えないが、企業収益の改善、それを受けての株価の大幅上昇、ベースアップでなくとも賞与金額の増加、失業率の低下、人手不足など当面の経済指標は一定の改善を示している。ノーベル経済学賞受賞者のスティグリッツが言うように、長期のデフレ政策( というよりデフレ放置政策 )が事態を改善しなかった以上、アベノミクスは試す価値があったと言えるのだろう。株価上昇など一握りの資産家を利しただけとのメディアの批判は本当に正しいだろうか。近年の「貯蓄から投資へ」の長く続いた官民キャンペーンに乗った国民は少数とも言い切れない。失業率の低下や人手不足は正規雇用者の増加を必ずしも意味しないとはいえ、それらが非正規雇用者の立場(バーゲイニングパワー)を強める方向に作用することは否めない。彼らは本当にアベノミクスに反対だろうか?
要するに野党側は既成概念に安住して後手にまわったのであり、批判だけでは国民の支持を得られなかった( らしい)のではないか。もっとも結果次第では私は頭を丸めなければならない!
2014年12月1日月曜日
大川小学校の悲劇
NHKテレビで、生徒の死者74名、教員の死者10名(1名生存 )を出した石巻市の大川小学校の悲劇を特集番組で取り上げていた。避けようがない死なら兎も角、すぐそばに山( 険しいが)があるのに地震後50分間を無為に過ごした末の津波死は、残された家族にとって納得できないのは無理もない( 生徒からも教員からも山への避難を求める声は挙がったという)。遺族と市教委との話し合いは何度かあったが、23名の遺族が納得できないとして訴訟に踏み切ったという。
海により近い石巻市の他の小学校では集団被害は無かったという。悲劇の最大の原因が、海から4キロの地点まで津波が到達するとは予想できなかったことにあることは遺族もよく分かっているだろう。それでも三割強の親が訴訟に訴えたのは市教委も第三者検証委員会もどれほど迫られても教員側の責任を明言しなかったことにあろう。死者の責任を問いたがらない日本人の心性もあろうし、想像だが教員の責任を認めれば教員個人が賠償責任を求められることを危惧したのだろうか。
死亡した生徒の親であり自身現役の教員で、追求相手の市教委には元同僚もいるS氏は、自らの調査の一応の結果として、教員たちが山への避難により生徒たちが怪我したり泥まみれになったりすることを危惧した事なかれ主義があったと判断した (私の想像もそうだった)。何をそんな小さなことでと思うのは結果を知る者の傲慢かもしれない。もし生徒たちの何人かが怪我をしたのに津波が襲来しなかったら教員たちは非難されなかったかどうか。悲劇の下地に責任を追及したがる現代社会の非寛容化と、それに備える事なかれ主義を指摘するのは誤りだろうか。
2014年11月29日土曜日
産経新聞記者への嫌がらせ
セウォル号事件当日の韓国大統領の動静を取り上げた産経新聞記者のウェブサイトが大統領への名誉毀損に当たるとして起訴され公判が始まった。その際、同記者の乗る車が一部の韓国人に通行を妨害され、卵を投げつけられたりした。
私も何新聞だったかウェブサイトを文字化した記事を見たが、ゴシップ的であまり品の良い文章ではなかった。韓国の大統領は国家元首であり、韓国人にとって不快だったことは事実だろう。もっとも韓国では大統領は権力乱用や親族の汚職で任期後有罪になったり自殺に追い込まれたりしており、他国の元首と同列に論じられるか疑問もあるが(米国民はニクソンを訴追はしなかった)。
また最近同国では政権関係者によるメディアへの民事訴訟や刑事告訴が相次ぐという。同国にとっては大きな問題だろうが、他国のメディアが言論の自由の問題として大きく扱うのは賢明かどうか。私は他国の国内問題にやたらに口をはさむのは賛成できない。
しかし、記者の乗る車のボンネットに腹這いになったり卵を投げつけたりするのは野蛮な行為である。一部の人たちの行為だろうが(そう思う)、少なくとも韓国の政府やマスコミは非難声明を出すべきである。そうしない(できない)なら、大久保あたりの一部日本人の愚行を非難する資格はない。
日本の全国紙のうち三紙は写真入りで事件を報じたが、私の購読する新聞は事実報道としてではなく、外務省局長の発言内容として辛うじて報道した(今日、丸一日遅れで記事を載せた。他社の影響としか思えない)。両国間で問題化するのを避けたかったとは想像できるが、自社の記事として報道しなかったのはメディアとして責任放棄という他ない。局長発言だけでは読者は何があったのか十分理解できなかっただろう。
2014年11月28日金曜日
体罰は許されるか
十日ぐらい前のTBSの「たけしのTVタックル」で体罰の可否をめぐる論戦があった。この番組は以前は午後九時台?で、国会議員をまじえたやや真面目な( 比較的!)番組だったが、何故か十一時台に格下げされた。政治家の建前論が面白くなくて視聴率が低かったのが格下げの原因かは知らないが、放映時間が変わって本音バトルの色彩は濃くなった。
今回は体罰肯定派( 実践派!)の高校の教師で教育困難校を甲子園常連校に変えた某氏と、体罰反対派の教育評論家の尾木ママが主役だった。前者は体罰の必要を認めることはもちろん出発点は生徒に恐れられること、恐怖を感じさせることでなければならないとするのに対し、尾木氏の主張は体罰は法律違反であること、自身が体罰に頼らず授業を行ってきたとの主に二点だった。
私は尾木氏の主張に賛成出来なかった。法律がもし実情に合わなければ改めるのが正しい道だし、尾木氏の成功体験が全ての教師に当てはまるとは到底思えないからである。一方、肯定派の某氏の主張は極端だが、教育困難校の現実は建前論、理想論ではどうなるものでもなかろうと思った。近年、教員の精神障害、長期休暇が少なくないと聞く。メディアはとかく上からの管理強化や教職の多忙を理由としたがるが、そんなことで本来真面目人間の多い教員が同僚に迷惑をかける職場離脱をするはずがない。見当外れであり、教員への侮辱ではなかろうか。
子供の人権を尊重すべしとの「正論」は、教員の人権尊重と両立させねばならない。そもそも生徒は未だ未完成な存在であることを忘れてはならない( 今思い出しても中学生時代の私は生意気で反抗的だった。今でも?!)。いじめ問題の解決を含め、今何より必要なのは教員の権威の回復であって、彼らの手を縛ることではない。
2014年11月24日月曜日
高倉健の功績は?
俳優高倉健が亡くなって十日以上も経つのに、彼に関するテレビ番組がひきも切らない。その中で彼が文化勲章をもらっていたことに改めて気付いた。何故それほどまで評価されたのか。彼自身は映画界に入ったのは生活のためだったと正直に語っているのに。
ひとつには彼の人柄もあろう。彼は映画では常に寡黙で不器用な男を演じているが、実際は無口ではなく周囲に何くれとなく気を配る人だったようだ。彼が英語が得意で貿易商を目指していた(Wikipedia)などと誰が想像するだろうか。また、礼儀正しく謙虚でもあったようだ。特別の演劇教育を受けていないというコンプレックスがあったのだろうが、205本の映画に出演した男の態度が大きくてもおかしくない。本来の性格か教員の母親の教育の結果か、スタッフや周囲の人たちへの感謝を忘れなかったようだ。
ある意味では極めて古風な日本男子の役を演じ続けた彼が中国で大変人気があったと聞き、最初は不思議だった。しかし彼の死去の報道の五時間後に中国外務省の報道官( あの例の男!)が記者会見で死去に言及したし、街頭アンケートで十数人中半数以上が高倉の主演映画の主題歌を知っていると聞けば、信じる他ない。
なぜ中国人にそれほど評価される俳優になったのか。文化革命中の紋切り型の中国映画に飽き飽きしていた人々に彼の主演映画が新鮮に映ったからだと中国人の映画評論家は語っていた。映画の中で高倉健の演ずる日本人に、寡黙、忍耐、謙虚、礼儀正しさといった美徳を見たということか?これらの美点の大部分は他の国民も無論持っているが、寡黙を尊ぶのは日本的ではある。それは弁解は潔くないと感じる日本人の美意識なのだろうが、そこに中国人も共感できるのか? もし中国人に日本人の美意識を知らしめた功績に対して文化勲章が与えられたということなら、受章の価値ありと私も思う( そう思いたい )。
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