2022年9月26日月曜日

医療費2割自己負担の導入は当然。

 来月から75歳以上の高齢者の医療費負担が当人の所得次第で従来の1割から2割に増加する人が増える。今朝の朝日新聞に「年金減り、物価高騰、 通院我慢するしか」との見出しで該当者の不満の声が紹介されている。どうして新聞は不満な人の声ばかり取り上げるのか。

 我が家の場合も従来通りの1割負担か2割負担になるか、境目ぐらいと予想していたが、最近2割負担の保険証が届いた。つまり紙上の不満家族と所得は大差ないことになる。現在のわが国の大幅な借金財政や少子高齢化を考慮すれば高齢者の医療費負担の増加はむしろ遅すぎたとも言える。

 現代の福祉国家の元祖は第二次大戦後の英国労働党の諸政策、とりわけNHS(national health service) という名の完全無料の医療制度であり、外国人も例外では無く、私も留学中に1度お世話になった。現在も無料を続けていると聞くが、その結果、患者の手術が半年も待たなければならないケースもあるとか。私自身は手術の先延ばしよりも医療費の支払いの増額を選ぶ。ともあれ、現在の国民皆保険制度は戦後日本の生んだ宝であり、是非とも守らなければと思う。

2022年9月20日火曜日

国葬の諸相

 数日前に私は諸新聞に外国の国葬の紹介が乏しいとの不満を記し、エリザベス女王の死去が報道の現状を変えるかとの期待を述べた。結果として私の期待は満たされなかった。あるいは逆に英国の女王の死に関する大量の報道に私の要望は埋没してしまったのかも。結局、不十分ながらも諸外国の国葬の紹介記事は管見の限りでは『毎日』(9月18日)の、英米仏韓のケースを取り上げた「世界の国葬」という記事だけのようだ。

 その記事では英国は「国に類い稀な功績」との小見出しで、歴代の君主を別とすればニュートン、ネルソン、チャーチル(と第一次大戦時の某看護婦)といった超大物だけとのこと。サッチャーもダメとの厳しさでは安倍元首相は問題外となりそうだ。

 米国は「大統領経験者対象」との小見出しで、「法令無く、慣例として実施される」。 ウォーターゲイト事件のニクソン大統領を例外として歴代の大統領は全員が該当する。

 フランスは、「明確な判断基準なく」との小見出しで、「いずれも大統領が実施を決定する」とのこと。そのせいか、「国葬はごく少数」だったが、マクロン大統領のもとで文化人が増え、数年前のテロ事件で犠牲になった一般市民も対象になったとのこと。なお、同国では国葬ではないが、対独レジスタンスの英雄などの偉人を合葬する「パンテオン」という霊廟があり、国葬に準ずる制度となっている。

 韓国は、「国家葬に一本化」との小見出しで、朴正煕大統領や金大中大統領が国葬になったが、金泳山氏や盧泰愚氏が該当した「国家葬」に現在では一本化されたとのこと。

 結局、国葬は歴史的産物として各国が実施しており、国民的偉人という共通点はあっても選考基準も方法もそれぞれということのようだ。我が国も諸外国の例を参考にしつつも早く法令化すべきだろう。

2022年9月12日月曜日

蛇足だが......。

  世界最古の職業とはふつう娼婦を指す。

エリザベス女王の死去

  英国のエリザベス女王が亡くなられた。在位70年は同国の君主としてヴィクトリア女王を抜いて最長だっただけでなく、他国を入れても稀ではないか。 その間、英国の君主だけでなく、英連邦諸国の君主でもあった。

 昭和ヒトケタ生まれの私でも、彼女以外の英国の君主時代を知らない。告白すると、最近はもう退位したほうが良いのではとも思っていた。世評は必ずしも芳しくない息子のチャールズではあるが、ユーモアのセンスは豊かだし(ある会合で「世界最古の職業の一員として」と自己紹介して出席者を楽しませた)、 何しろチャールズだけでなく孫のウィリアムまで今では禿げ頭である。

 ヴィクトリア女王の後を継いだエドワード7世もやはりなかなか即位できず、その間、パリの社交界での活躍で憂さを晴らした。しかし、そのため?英国の積年のライバルであるフランスとの間に「協商」ententeという名の同盟の構築に多少とも貢献し、のちの第一次世界大戦の勝利に貢献した(この項、知ったかぶり)。

 しかし、今振り返ると死去直後の儀礼的な賛辞を割り引いても英国へのエリザベス女王の貢献は大きかったと思う。何よりも彼女の君主としての強い義務感は認めざるを得ない。さいわい我が国の上皇夫妻も天皇夫妻も彼女に負けない義務感の持ち主であると信ずる。彼女に負けない長寿を願っている。

付記 このところ我が国では元首相の国葬をめぐって議論百出である。私は国葬は門外漢なので諸外国の例を教えてくれることをメディアに期待したが(私の職業病!)、全く期待はずれだった。これで変わるだろうか?

エリザベス女王の死去


2022年9月6日火曜日

社会の変貌を映す『ポツンと一軒家』

 これまでこのブログで取り上げたことがあったか確かでないが、日曜夜のテレビ朝日の『ポツンと一軒家』を毎回見ている。現在の「地方」について実にさまざまなことを教えてくれる番組である。

 題名どおり山中の一軒家(まれに海辺も)をテレビ局員が訪ねるのだから当然ではあるが、何と我が国が山また山の国であるかを再認識させられる。祖先がそこに住み着いた理由に多少の違いがあっても基本的には平地で生活を営む土地が不足したからだろう。現在は一軒家でもかつては何軒もの集落だったケースも多い。戦後の日本経済が拡大するにつれ、平地に職を得ることが可能になって山中を離れたと考えられる。

 現地までの道路は当然山道になるが、ほとんどの場合到達直前までアスファルト舗装されており、ガードレールの設置も珍しくない。自民党政権が選挙地盤である地方の要望に寛大であることが分かる。電気は必ず配電されているが水道は皆無で、沢の水を引いているか自家の井戸に依存している。現在は老人世帯でもかつては小学生して山道を徒歩で通学した。現在の足は基本的に自家の軽トラックである。かつてこのブログで普通車と軽自動車の税金の大きな差を嘆いたことを反省させられる。

 毎週なので似たケースも少なくないが一昨夜は特異だった。享保年間に藩主の佐竹家が茨城から秋田に移封させられたとき、 移住を拒んだ家臣十三家族が山中に移住したとのこと。今は一軒家だが、244年年前に先祖が建てた家屋は茅葺の立派な造り( そのまま映画に利用できるとの解説役の林修の声)。 下山に踏み切れなかった理由も理解できる。今は高齢の嘗ての花嫁は、2人並んで歩けない狭い山道3キロを花嫁衣装で登り披露宴に出席したとのこと。今は一家は炭焼きと蒟蒻造りを生業とし、自家用に多種の野菜も作っている。

 ほとんどのケースに共通するのは他人の助けを借りずに家の修理や生活用具の製作などを果たす器用さであり、そもそもそうでなければ生活できたかっただろう。また彼らはほとんど例外なく『ポツンと一軒家』を愛聴しており、いつか自分のところにもと密かな期待を抱いていた様子が窺える。彼らを励まして来たこの番組を是非とも続けてほしい。