2022年7月26日火曜日

やまゆり園事件から6年

 今年は相模原市津久井の障害者収容施設のやまゆり園で施設の植村職員が入所者を襲い、死者19名、負傷者26名の惨事を惹き起こして6年経った。当初は死刑も厭わない態度だった植村死刑囚も現在は死刑判決の再審を求めているという。

 障害者は家族や周囲の人に不幸をもたらすだけで生存の価値がないとの植村の思想は、被害者が老婆1人との違いはあるが、ドストエフスキーの『罪と罰』の主人公のラスコーリニコフの思想に相通ずる。しかし、被害者数の違いもさることながら、障害者は生きる価値がないと決めつけた点が特異である。

 施設は建て直され追悼の石碑が建立されたが、死者の名前を明らかにした遺族は6家族だけだったようだ。不幸なことだが、やはり障害者が家族に居ることは知られたくないとの思いは強いようだ。

 今朝のテレビで障害者の世話をする職員たちの姿が写されていた。こうした施設の職員の仕事ぶりには頭が下がる。最近、職員が収容者に暴力を振るったとの報道があったが、何度も注意しても無視されたり反抗されたりした場合、職員も思わず逆上することも当然あろう。そうした経験のない私には植村死刑囚に死刑執行は当然だと言い切る気にはなれない。同じ日に死刑執行が報じられた秋葉原の無差別殺人事件の犯人は当然の報いを受けたとしか思わないが.............。

2022年7月25日月曜日

外交の評価

ウクライナへのロシアの侵攻とそれに対するウクライナの抵抗は5ヶ月を経て終わりの見えない戦争の観を呈している。両国とも人命と国富の損失をさらに重ねるしかないのか。どうして外交はこの戦争の発生を防止できなかったのか。
 評論家でかつては職業外交官だった佐藤優氏は「外交は価値の体系、利益の体系、力の体系という三つの体系からなっている」と解説する(『毎日』7月17日)。価値の体系とは例えば民主主義対強権という捉え方。 利益の体系とはこの戦争が自国にもたらす利益と損失の評価。力の体系とは彼我の国力や戦力の評価である。
 開戦から現在までは民主主義国と強権国家の違いが強調されてきたが、独立後のウクライナは激しい街頭行動によって大統領が退任させられるという西欧型の民主主義の基準に合致しないため、EUやNATOへの加盟を許されなかった国である。民主主義対強権の構図は割引して考える必要がある。
 利益の体系からすればクリミア半島や東部2州を回復しない限りはウクライナに具体的利益はなく、その可能性は乏しい(変わりやすい世論を無視できない民主主義国はそこまでの支援はできないだろう)。力の体系は人口や生産力の比較だけでなく電子技術などの能力も計算する必要が大きくなっているとはいえ、ロシアとウクライナの力の差は大きい。西側諸国もウクライナの求めるすべての旧領の回復までは軍事支援はできないだろう。
 無限に戦争を続けることは不可能な以上、遅かれ早かれ現状での停戦となろう。その場合、失われた多くの人命に値するだけの停戦になるとは思えない。


2022年7月18日月曜日

元首相暗殺事件をどう理解するか

  安倍元首相暗殺事件の直後は選挙中ということもあってかメディアは「宗教団体」の名をなかなか明かそうとしなかったので、私などもっと有名な団体のことかと思った。統一教会の名が出てようやく犯人への理解が進んだのは私だけではあるまい。

 「理解」というと同情を含むと捉えられそうだが、否定しない。犯人山上徹也のこれまでの人生を顧みると第一に母親の愚かさに呆れる。死後の財産を宗教団体に遺贈する例は珍しくないかもしれない。しかし、親から受け継いだ企業を破産させ、そのため息子が大学受験を断念しても統一教会に入れあげたとなると親の資格ゼロと言いたくなる。

 むろん第一に批判(むしろ弾劾)すべきは統一教会だろう。宗教団体が信者の寄進に期待するのが誤りではない。しかし相手の無知や苦境を利用して遺産をほとんど召し上げたばかりか、霊感商法に至っては呆れるほかない。30年前に強い批判を浴び、その後メディアもほとんど無関心だったが、その間、「世界平和連合」など三つ四つの「フロント組織」(正体を隠すための当たり障りのない別名の組織)で悪行を継続していたとは.............。メディアも怠慢だった。

 統一教会が反共を売り物にしていたことから岸信介元首相と深く長いつながりがあったという。その家族的伝統のためか最近も安倍元首相は自派の某立候補者の支援のためメッセージを寄せていた。山上徹也が本来の目標に近づけず、やむなく元首相を標的に選んだのは「理解」できる。彼が知人に送った通信文を読むと彼なりに追い詰められ苦しんでていたようだ。

 戦前の日本で政治家や財界人の暗殺が続いたころ、わが国は昭和恐慌下に庶民は娘を売るなど大いに苦しんでいた。だからと言って暗殺犯たちに「理解」や同情を示した当時の「世論」を是認することはできない。迂遠ではあるが、先ずは政治家の質の向上と国民の政治を見る目の向上を図るほかない。

2022年7月11日月曜日

安倍元首相の功罪

  僅か四日の間に我が国は元首相の衝撃的な死と参院選での自民党の勝利を経験した。色々な見方はあろうが、終わってみれば大山鳴動すれど大きな変化はなかった。元首相の横死はあってはならない事件だが、犯人が政治的信条が動機ではないと語ったと知った時、私はやや安堵した。これが左右両翼の過激分子の政治目的の行動ならその後の政治の両極化を産みかねないと感じたからである。

 暗殺事件を知った後の諸外国の首脳の安倍氏への高い評価は日本国民にとって意外だったのでは? もとより非業な死への儀礼の側面は大きいだろうが、本心が掴みにくい歴代の首相に比べて理解されやすい首相であった。それに何より七年間の長期政権の利点も大きかったろう。

 他方、わが国では元首相は新聞を中心とするメディアに数々の批判を受けてきたので個人として親しめない感じを私は抱いていた。ところが死の翌日の『朝日』の「評伝」と題する署名入りの記事が、「会食では早口で話し、冗談を飛ばして場を盛り上げた。その明るさと情熱に、近くで安倍氏に接した人は引きつけられた」とあった。さらに同日の『毎日』は、「座談の名手、気配りの人」との見出しで、「じかに接してみると、ソフトな人物だと感じる人が多い。相手の発言をよく聞き、気を配る座談の名手であった」とあり、驚かされた。両新聞とも筆者はおそらく「首相番」の記者で、大きく割り引いて読むべきだろう。しかし、これまでは世論や「社論」に反する評価は忖度して書かなかったとも解せられる。

 元首相の強権的政治家像の代表は街頭演説中に反対者に、「こんな人たち」に屈してはならないと叫んだ件がある。しかし今日あらためてその時のニュース画像を初めて実見したが、彼らは演説の妨害のために参加した人たちであり、ある意味で最も非民主的な人たちだった。

 七年間首相を務めれば批判されるべき件は少なくなかった。しかし、ためにする批判もまた少なくなかったのではなかろうか。

2022年7月6日水曜日

アルジェリア独立60年の爪あと

 今年はアルジェリアがフランスから独立して60年にあたる。新聞では他紙に先んじて?『東京』が今朝の紙面で、「近くて遠い国 アルジェリア独立60年  仏側協力者の苦難」との見出しで報道している。

 大戦後、英国は国内世論が賛否両論に割れながらもインド(現在のパキスタンとバングラデシュを含む)の独立を比較的早く承認し、その後友好関係を保っている。それに対してフランスは地中海対岸のアルジェリアを保持することに努め、「アルジェリア戦争」と呼ばれた流血の対ゲリラ戦を十年間も続け、60年前万策尽きてアルジェリア独立を認めた。

 ところが長引く戦争の間、万単位のアルジェリア人がフランス軍を助けて独立派ゲリラと闘った。その結果彼らは残留すれば死刑か重罪を免られず、フランスは道義に関わることでもあり、希望者全員を自国に受け入れた。

 しかし、「アルキ」と呼ばれた彼らとその家族は、以前からフランスに定住していた同胞にさげすまれ、フランス人からも一段下に見られるという境遇に落ちた。彼らに同情しくれるのは「ピエ・ノワール(黒い足)」と呼ばれる、かつてアルジェリアに住み独立後追放されたフランス人だけ(林瑞枝『フランスの異邦人 移民・難民・少数者の苦悩』中公新書 1984)。

 自身がピエ・ノワール出身のフランス人史家は、「全ての立場を満足させる解決策は存在しない」と紙面で語っている。フランス人は植民地権益を守るためと同時に、自国の「共和主義文明」を世界に広めることを善と疑わなかった(各地に凱旋門を建てフランス語を教えた)。それに対して英国は自国文明の普遍性の主張にはこだわらない商人国家だった。