2013年12月31日火曜日

高齢者の甘えはいただけない

今朝、偶然スイッチを入れたNHKの「耳をすませば」というタイトルの番組で、山崎豊子、天野祐吉両氏の生前のインタビューが放送されていた。天野氏の朝日新聞のコラム「CM天気図」は私も愛読者で、独特のユーモアを多年楽しんできた。しかし、今回の発言は後期高齢者のという政府の決めた分類名が官僚的で血の通わない命名だとの批判で、「大老」などもっと敬意のこもった名称にすべきだ(これは無論ユーモアまじりだが)というものだった。がっかりだった。
「末期」ならともかく、後期高齢者には何ら悪い意味は無く、該当する私自身何の違和感もない。言わば機械的分類に過ぎない。高齢者が多年にわたり身につけた知識や知恵に敬意を払うのは極めて望ましいことであり、高齢者の私に異論があるはずも無い。しかし、加齢自身に特別の価値がある訳では無い。
神戸地震以後の自然災害での大勢の若者ボランティアの活躍には頭が下がる人が多いだろう。私自身それが出来る年齢ではないが、若者であったとしてもボランティア活動に参加したかどうか全然自信がない。人間の価値は年齢とは無関係であり、高齢者にも甘えがあってはならない。電車などのシルバー席の優先と混同は出来ない。結局のところ後期高齢者に代わる名案は見つからなかったようだ。当然であろう。

2013年12月13日金曜日

道徳教育に成績評価が必要か

道徳教育の一般教科化が問題となっていると報道されている。他教科と同じ扱いとなれば成績評価も必要となろう。これには疑問が尽きない。
学校での道徳教育の必要は認めたい。原因は単純ではないだろうが、家庭教育の力が落ちていることは事実であろうし、とくに未成年者の場合など罪の重大さを充分認識しないで犯罪を犯すことは充分あり得る。道徳感覚は生まれながらに身に備わっているものでもあるまい。戦前の国語教育の様に他教科でも道徳教育は可能だが、それが別に道徳教育を行うことへの反論になるとも思えない。やはり国語の授業は文章の理解力や美的鑑賞力の涵養などを目指したい。
それはともかく、道徳教育に成績評価がともなう必要はあるだろうか。と言うよりむしろ弊害を生む恐れが強い。評価者である教員に高く評価されたいため優等生的答案を書くケースは激増すると予想されるし、成績向上を目指してのボランティア活動への参加すら予想される。一言で言えば教育に偽善を持ち込む危険が多分にある。他方、評価する側の教員も人間である。悪意など無くとも主観的で偏った評価をする可能性が排除出来ないことは当の教員自身がよく知っていよう。私には道徳教育の成績評価には害こそあれ利点が見つからない。

2013年12月6日金曜日

いばらき空港の活用を!

東京五輪開催にともなう外国人観光客の増加も見越して、羽田空港の拡張が計画されているという。個人的には成田はあまりに遠いので歓迎だが、拡張費用は少ないものではなさそうだ。そうなれば発着料もかさむ。いばらき空港の活用も一案ではなかろうか。
数年前、いばらき空港が開港したときメディアは地方空港の乱立に批判的だった。私も最初は同意見だったが途中で考え直した。きっかけは機体を空港ビルの前に着けて搭乗橋もバスも使わず利用料を下げるという徹底した節約ぶり(むかしオスロー空港がそうだった!)に好感を持ったからだが首都圏に第三空港が必要だと考えたことも大きい。
世界の首都クラスの大都市では第三空港を持つ国は少なくないはず。ロンドンの第三空港のスタンステッドは六月という時季もあってか利用客は多かった。過疎地ならともかく北関東の人口は多いし、経済活動も盛んである。利用客が東京を横切って羽田空港を利用することは無駄であり、交通渋滞を酷くするばかりである。いばらき空港は交通不便だという意見もあろうが、利用客があればたちまち各都市からの直行バス網が出来ることは成田で立証されている。
さらに津波や高潮の危険もある。羽田に何本の滑走路があっても一挙に全閉鎖ということも大いにあり得る。そうなれば打撃は計り知れない。災害予防のためにも、いばらき空港の第三空港化は充分考慮に値するのではなかろうか。