2014年9月14日日曜日

空の旅今昔

偶々、テレビで最近の旅客機事情のあれこれを放映していた。夕食時間とぶつかったので一部しか見ていないが、今昔の感を禁じえなかった。

私が初めて飛行機に乗ったのは三十二歳のとき。乗り物好きなのに初乗りが遅かった( 当時としては平均的? )のは、大学卒業後東京から鉄道で移動するのが適当な距離( 名古屋 )にしか転居したことがなかったから。したがって、ハバロフスクからモスクワまでのアエロフロート機が最初の飛行体験だった。四つのプロペラの大型機トゥポレフ( プロベラ・ジェット 機 )で、機体を震わせるばかりでなかなか離陸しない。やっと離陸したので思わず拍手したら、皆が一斉に拍手し大笑いとなった。私は初めてなので不安だったのだが、他の乗客( 日本人が約半数 )もソ連機に一抹の不安があったのかも。翌日、空港で独りロンドン行きのアエロフロート機に乗り換えたのだが、申し込み用紙はロシア語のものしかなく、途方にくれた。

英仏海峡は昔の人の旅行を追体験したかったのでもっぱらフェリー( 後年はホーバークラフトも )で往復したが、一度だけ格安航空便( LCC という名前はなかったが )を使った。英国の小飛行場( 大戦中多数急造された )からパリ北方のボーヴェ空港まで、DC3機に乗った。せいぜい三千メートル程度の高度を飛行するので地上に影を映しながらの飛行だった。

二度目の渡欧は九年後にやっと実現した( 当時はそんなものだった )。バンコック( ドンムアン )空港経由のタイ航空機で、当時はそれが最も格安便だったのだが、帰国時は空港でタイ航空機乗り継ぎのため早朝から夕方まで空港内に足止め。其の間二回ぐらい東京行きの日航機が出発して行き、格安便の悲哀をたっぷり味わった!

その後は航空運賃もしだいに低下したが、シベリア上空が開放されるまでは、アラスカのアンカレッジ経由便を誰もが利用した。日本食が待ちきれない人たちが空港のうどん食堂に並んでいた!運賃が低下したと言っても、それは帰国便の日付けが決まっている場合。パリの格安日本食堂には帰国まで食いつなぐため?通ってくるらしい同胞が絶えなかった。今日、パリのブランド店で買い物をする人たちのことを聞くたび、何故かがっかりする。

2014年9月8日月曜日

テニス界の王者は誰か?

夕方のテレビニュースを見たら、ほぼ全ての民間キイ局の最初のトピックが錦織圭選手のテニス全米オープンでの準決勝戦の活躍だった(無理もない)。その中で、解説役の神和住純元選手の三十何年ぶりの映像に接した。嘗ての甘い容貌は流石に過去のものとなっていたが、懐かしかった。

1970~80年代、日本男子選手の活躍の場は殆どデビスカップ戦だったと記憶する。同カップは( 三つの?)地域別に予選があったようで、当時の日本人の実力は本選出場を目指す段階が主だったかも? それ以前にも熊谷一弥、清水善造の両氏の活躍があったことは今回でも紹介されたが、彼等が有名大学出身の商社マンだったことが示すように、第一次大戦直後と現在のレベルはあまりに違う。それだけに、錦織選手の決勝進出は快挙の一語に尽きる。

それにつけても、沢松菜生子、伊達公子らが活躍した女子テニスも忘れて欲しくない。特に1996年のウィンブルドン準決勝での伊達選手のグラフとの闘いは、1対1で日没順延となり翌日、残りゲームでグラフが勝利。決勝でもサンチェスに楽勝し、テニス女王の座を守った。しかし、中止前、伊達は後半盛り返し、優勢だった。そのまま続行されていたら彼女が勝利したことはほぼ間違いなく、そうであれば彼女が日本人初の四大大会勝者となっていた可能性は大きい。私は大会の審判か運営委員長かは知らないが、グラフへの贔屓、人種差別意識のどちらかがあったと本気で疑っている。それほど伊達選手のテニスは素晴らしかった( 笑顔も!)。現在の40歳台での活躍はそれを証明している。

全米オープンの優勝賞金は3億円、準優勝でも1億5千万円とか。決勝で勝っても負けても悪くないなどと考える私は品性が低いのか!?

2014年9月6日土曜日

関西空港と成田空港

関西空港が開港二十周年を迎えたという。想定した発着数に及ばす今も一兆二千億円の借金を抱える万年赤字空港を持て余した政府は二年前に黒字の伊丹空港との経営統合を実現したが、それでも立ち直れず、今度は運営権の民間への売却を考えているという。運営権を売却した空港の例は世界で少なくないようなので一概に売却(  当然外資も名乗りを挙げるだろう)に反対するつもりはないが、赤字空港を作った責任をうやむやにして欲しくない。

そもそも関西空港の建設は、伊丹空港の騒音被害が大きいとして地元自治体が廃港を求めたことに始まる。頭上を超低空で離着陸する( 実感は頭上をかすめるに近い )大型機の映像をテレビなどで見て私などもこれは人道問題だと思った。ところが関西空港が開港すると、周辺自治体は一転して伊丹空港の廃止反対に態度を変え、今日に至った。現在、西航する機上からは、その後造られた神戸空港( これも赤字 )を含め三空港が同時に見下ろせる。とても経営的に三空港が併存できるとも思えない。

ジョン・F.・ケネディの大統領就任前の著作に「勇気ある人々 Profiles in Courage 」( 英治出版 2008、別の題名でずっと以前に邦訳本があった? )がある。実際はソレンセンがゴーストライターだったようだが、選挙民の圧力に抗して道理を貫こうとした政治家たちの列伝である( 未見 )。関西の自治体の首長にはそうした政治家は居なかったということか( 神戸空港の反対運動には田中康夫氏が加わっていた )。

関西の悪口を言うつもりは無い。関東でも多年、成田空港の発着数増加に反対してきた成田市ら周辺自治体は、羽田空港が国際化すると態度を一変させた。今は格安航空機の誘致に熱心なようだ。そのうち、あれほど反対してきた滑走路の増設にも賛成するかも。今はただ、国費投入を当てにしてくれるなと願うばかりである。

2014年9月2日火曜日

ラウンドアバウト導入は果たして有効か?

我が家から二百米足らず、住宅地の真ん中にラウンドアバウト( 環状交差点が正式名称だとか )が設置された。都内で最初( ということは日本最初? )の設置だという。昨日が正式な発足日で、雨のなか警官や警察のカメラ?が顔を見せていた。

そこは以前からロータリーと呼ばれていた場所なので実質上は大きな変化ではない。先にそこに入った車が優先するので( ロータリー時代は左方優先?)、変更点は新しく交差点に入る車は一時停止して方向指示器を左折にし、離脱する時も左折信号を出すことくらいである( と言っても暫くは警察の取締りが厳しいだろうが )。

英国で多用されているラウンドアバウトは通常もっと大きく、円内の他車( 常に右方から来る )が無ければ速度をギア一段分ほど落とすだけでストップせずに走り抜けられる。したがって信号式交差点より便利である。これからの日本の同類は少なくとも新設するならば、一時停止を求めては利点がなくなるのではないか?

フランスでも地方ではやはり環状交差点が多かったと記憶するが、パリでもドゴール広場( 凱旋門広場 )は巨大なラウンドアバウトであり、慣れたドライバーでなければ恐怖心を抑えきれない。( 何しろフランス人の運転は乱暴、良く言えば芸術的だから)  やはり英国や旧植民地のニュージーランドのように土地が平坦で広く、国民ものんびりしている国に適した交差点のように思う。はたして日本に適した交差点だろうか。

2014年8月29日金曜日

靖国参拝と渡辺恒雄氏

読売グループ会長の渡邉恒雄氏の「……体験的靖国論」( 文藝春秋 九月号)が一部で注目されている( 高橋源一郎氏の論壇時評  朝日新聞8月28日 )。渡邉氏が保守派の重鎮で安倍内閣の諸施策の支持者であることは周知の通り。
しかし、文春掲載論文はA級戦犯合祀以後の靖国神社参拝への全面的反対論であり、その主たる論拠は、前の戦争の加害者( A級戦犯 )と被害者( 一般の将兵 )は峻別すべしということに尽きる。私も論文の主旨に全面的に賛成である。外国が反対するか否かに関わりなく日本人として加害者と被害者を混同すべきでないし、私には戦没者たちが合祀に賛成するとは到底思えない。A級戦犯の中にも職務上の責任を問われた東郷外相のように同情に値する人もいるが、東條首相のように戦陣訓で「生きて虜囚の辱しめを受けず」と命じながら自分は自殺の真似ごとをして生きようとした人間を戦没者たちが許すはずが無い( 戦陣訓がなければ、それだけで日本人だけでも何十万人の生命が救われただろう )。

ただ、問題はこの件に関し、世論調査の結果は必ずしも参拝反対ではないことである。調査結果はそれぞれの調査機関や調査時期ごとに多様であり、安易な一般化を許さないとはいえ、参拝への賛否となるとほとんど二分されているようだ( 8月15日の参拝見送りと聞かれると七割が賛成となる! )。これには参拝に反対する中韓への反撥( 他国のことに干渉するな! )も大きいだろうが、死者に寛大な国民性も関係していよう。
わが国では死ねば誰でも神や仏になると考えるとはよく聞く。自らの不注意で多数の犠牲者を出す事故を招いても,当事者が死んでいると世論やメディアで責任追及が殆ど停止するのが我が国の精神的風土である。それぞれの国の国民性は出来るだけ尊重されるべきだが、少なくとも外国に通用する論理とは思えない(そもそも論理ではない!?)。日本も国際社会の一員である以上、没論理のままで良いとは思わない。

参拝に反対する中国の基準( 要人の範囲など )も一定ではないようで、そうしたことへの反撥も与っているのかもしれないし、それ以上に安倍内閣への反対姿勢をゆるめない野党的メディアへの反撥が首相の頑なな対応を生んでいるとも考えられる。しかし、渡邉氏は多くの点で( 大半?)首相を支持して来た。謂わば友人の諫言に反発するならば、首相は賢明であろうか。首相は渡邉論文を熟読玩味するべきである。

2014年8月26日火曜日

甲子園大会の東北代表

今年の甲子園の高校野球大会は大阪桐蔭の優勝で終わった。今年は東北六県からの五校が途中まで残ったので、もしや東北から優勝校もと期待したが、やはり今回も期待を裏切られた。毎年のように優勝旗が白河を越え東北にと期待した時期もあったが、駒大苫小牧に先を越された。酷暑の甲子園での連戦は東北勢には厳しいとは思う。

東北勢が決勝戦まで勝ち進んだことが何回あるかは知らないが、大田幸司投手( と、のちスワローズで活躍した八重樫捕手 )を擁した三沢高校と、小さな大投手と呼ばれた田村投手を擁したいわき高校の二度の東北勢の準優勝は忘れられない。その後もダルビッシュを擁した東北高校など東北勢の活躍は続くが、野球有名校で、選手も東北出身でない者が多いと聞く。今年も利府高校以外は( ? )その例に漏れなかったようだ。

高校野球の名勝負と言えば私の知る戦後だけでも枚挙に暇がないし、優勝戦が十八回引き分け、再試合となったことも他に例があるかもしれないが、三沢高校の場合あわや優勝旗を手にするところまで行ったこと、ハーフ( 混血 )の太田投手が女性の黄色い声援を一身に集めたことなどで話題を呼んだ。自分の人気が実力と無関係と知る大田幸司には、翌年プロ野球に入団すると最初から一軍に加えられた上にオールスター戦にファン投票で選ばれたことは不本意の極みだったろう。それに耐えてその後プロ野球で活躍した( 八重樫ほどではないが )のは立派だった。

時代が変わり、もはや選手を全国に求めないと甲子園での優勝を望めないとすれば寂しいことである。それだけに三沢高校といわき高校の健闘を私は忘れない。